自分を知る(長谷川潔の言葉) 魚津章夫
すでに定評のあるパリ在住20年の画家が師にこう尋ねた。「いい絵を描くにはどうしたらいいのでしょうか」。師は答えられた。「結局、自分を見つめることですね。それには自分が何をやりたいのか、何を美しいと思うのか、ということをできるだけはっきり意識すること、それから、人様ではできないこと、というよりは、自分しかできないこと、あるいは自分がやりたいこと、そして他の人がやる必要がないことを、やはり気持ちの中でしっかりつかむのが大事ではないかと思います」。この師というのは長谷川潔画伯である。
長谷川潔画伯は私が最も尊敬する画家である。麻布中学を卒業する時には外交官になることをすすめられたが、虚弱な体質を自覚して画家を志した。作品を発表するうちにデザインセンスや緻密な資質があることが解り、版画の制作が多くなった。そして、その勉強のために大正7年(1918年)27歳の時に渡仏した。フランスでは新傾向の絵画というよりも古典絵画の普遍的な美に関心を向け、また日本とは異なる自然の風景や建築美に触れるうちに、美の根源は自然そのものの中にあることを確信するようになる。
版画の研鑚は西洋版画全般にわたっており、とくに銅版画においては、当時のフランスおいても注目される存在となる。とくに晩年にマニエ−ル・ノワ−ルというすでに西洋ではすっかり廃れてしまった技法を復活させた。そればかりでなく、その技法によって、東洋人、日本人の感性でしか表現しえない墨色を基調とした絵画の独自の様式を確立することになった。フランスはそれらの業績にたいして数々の栄誉を与え、フランス貨幣賞牌鋳造局は葛飾北斎、藤田嗣治、に次いで3人目の日本人画家として長谷川潔の肖像メダルを発行している。 1980年、長谷川潔はパリの12月の寒い日、在仏62年、その間一度も故国に帰ることなく89歳でその生涯を閉じた。突然の訪問客をとくに嫌い、必要な人しか面談せず、仕事の邪魔になるといって電話もなかった。私は日本での個展を担当してから晩年の約十年何度も画伯と接することになった。
今日われわれ現代人の周りには新聞、テレビ、インタ−ネット、あらゆる情報があふれていて、世界の出来事は何でも瞬時に知るようになっている。しかし、本当の真実は見えないものの中にこそ潜んでいて、それを見抜く人は少ない。ましてや、自分自身についてはほとんど知らないことが多い。真の画家や芸術家は現実の事象を常識的な見方にとらわれないで、事実の奥にある真実を見極めるために絶えず感覚を磨いている。その究極は結局自分を知ることにあるのではないか。
(冨山県教職員厚生会 退職厚生部機関誌『友』 平成16年5月1日 第362号) 長谷川潔の画歴