長谷川潔のビュランの世界 魚津章夫
ある座談会の席で、長谷川潔の作品の中でどの作品がいちばん好きかと問われて、同席した北岡文雄さんが、「私はビュランの作品が好きですね」と即座に答えられた。北岡さんは長谷川潔さんにパリで直接師事された現存作家で、しかも版画界においては最長老で、版画の制作や特質についてのあらゆることを体験によって熟知されているので、その発言には含蓄がある。一瞬、以外な感じもしたが、私もなるほどと頷いた。
長谷川潔といえば、マニエ−ル・ノワ−ルの技法が作品の代名詞になっていて、黒い技法だとか、黒色の芸術の銅版画として評価が定着している。ことにその技術で確立した静物画の独創的な様式は西洋の銅版画の歴史においても例を見ないもので、その芸術的な完成度の高さにおいても比類のないものである。
ところが、長谷川潔の生涯における全版画作品を一望してみると、初期の木版画をはじめとして、あらゆる版種の素材を使い、多種の技法を試みている。これだけ多種にわたる版種を手掛けた画家はおそらく版画史的にも珍しいのではなかろうか。その中でも銅版画における技術の習熟はオ−フォルト(エッチング)、ポアント・セッシュ(ドライポイント)、ビュラン(エングレ−ビング)、アクアタント(アクアチント)、マニエ−ル・ノワ−ル(メゾチント)と多岐にわたっており、いずれも最高の伎倆に達している。 私がここでとくに指摘をしておきたいのは、マニエ−ル・ノワ−ルの作品の高い評価の影に隠れて長谷川潔のビュランの作品がどうしてもやや印象がうすく、もっと本質的に注目されなければならない最高度の内容のものであるということである。
西洋の版画で最も本格的なものはビュラン彫りである。もともと金銀細工師の技法から始まり、芸術的な版画としてはマルティン・ショ−ンガウア−やデュ−ラ−で最高潮に達するが、デュ−ラ−以後も17世紀ベルギ−、18世紀フランスで発展した。
ビュランはニ−ドルで自由に描画できるエッチングと違って、ビュランに手を加える圧力の強弱によって溝の細さや太さに差が生じるものの、濃淡の表現が難しく、直線には適しているが、曲線にはむかない。銅版を彫る道具も15世紀以来ほとんど変わっていないし、ただ手技の熟練によってしか描画の自由な操作を会得することはできない。そのために多くの画家たちには敬遠されて、今日においても、これを芸術表現として生かしきっている画家は少ない。
長谷川潔は34歳(1925年)で初めてこの技法で作品を作っている。その最初の作品は「小さな花束」という小品であるが、同時にほぼ同じモチ−フでポアント・セッシュの「草花」も制作していて、それら二つの技法の効果を比較し、実験していたようにおもわれる。技術はまだどちらも単純で稚拙なものである。この小品以後、一枚絵としてのビュランによる作品は1933年の「エッフエル塔と雲」まで一点も無い。しかし、最初の「小さな花束」と見比べてみると、その技術の熟達には天と地の差があるし、「エッフエル塔と雲」は描画の正確さや構図の安定や緊密さは飛躍的に充実して完成度が高い。
ところが、じつはこの二つの作品の間の期間に豪華挿画本仏訳「竹取物語」を制作している。これは1927年頃からとりかかり、世界恐慌による出版事情もあったが、その挿画制作(カットも含めて46点)に7年間もかけている。そして、それはほとんどビュラン彫りなのである。「小さな花束」から始まったビュラン彫りがこの「竹取物語」の一連の挿画制作で完璧の伎倆に達する。そればかりでなく、この「竹取物語」を契機にして、ビュランの技術そのものの熟達もさることながら、これまでの長谷川潔の絵画観が変化する大きな転換期ではなかったかと思われるのである。この「竹取物語」の挿画はテ−マがテ−マだけに全作品のなかでも異例の純和風の王朝風な典雅な画像に仕上げて、その描線の美しさと格調の高さは無類のものとなっている。
この「竹取物語」の制作中の1932年に長谷川潔はかなり長期間にわたってイタリアを旅行している。これは2度目であるが、この旅行はイタリア美術探求の旅であったと記録されている。このイタリア美術探索が「竹取物語」の挿画に何らかの影響を与えているといわれているが、たしかに「竹取物語」の挿画は画面構成において、より緊密に調和のとれた堅固なものとなっている。おそらく長谷川潔はこの時に西洋と東洋の絵画の違いを自覚的に一段と意識し、イタリアの古典絵画から普遍的な美の秘密を解く鍵を探りあてたのではないだろうか。こういう経緯をたどってビュラン彫りで一枚絵の正規の作品として制作されたのが「エッフエル塔と雲」である。この「エッフエル塔と雲」は「竹取物語」の挿画の手法を受け継いでおり、クロス・ハッチングで線の純粋な美しさを失わないために、平行線で中間色を表現することに成功していて、透明で清潔なすっきりとした作品となっている。この空のビュランで長い平行線をいくつも引くのが至難の技で、気力の充実と視力の確かな年齢の時しかできないのだよと言われていた。またこの作品は交差線の下地のマニエ−ル・ノワ−ルによる「アレキサンドル三世橋とフランスの飛行船」と同じエッフエル塔の眺望を描いた類似の風景描写になっている。暗い陰影による画面と白地にすっきりした美しい線のみの画面は対照をなしていて、興味深い。おそらくこの黒と白の世界の対立的な表現はかなり意図的に意識して制作されたのではないだろうか。
1937年に完成した「裸婦」というビュランの作品がある。この作品にはステ−ト版が何種か発見されており、最初のステ−トはポアント・セッシュと記録されている。最近、長谷川潔のアトリエに遺されていた遺作を調査する機会があって、数種のステ−ト版を見比べることができた。完成作はビュラン彫りと作家自身がはっきりと表記しており、同一の図像なのに両方の技法がなぜ違うのか、同じく調査にあたった他の二人の研究者も疑問に思っていたが即座には解明されなかった。最初のポアント・セッシュの作品は背景に魚だとか鳥だとか花だとか寓意的図像を配した象徴としての裸婦であるが、完成された「裸婦」ではその寓意的図像はみな斜線で消されてしまっている。そしてさらにル−ペで彫られた溝を拡大してみると、最初にポアント・セッシュで彫られた線の溝をビュランで彫り直しているということが解ってきた。しかし、なぜ1925年に制作した「裸婦」を12年も後にビュランで彫り直す必要があったのであろうか。私はこの間に長谷川潔のビュランの技術が飛躍的に熟達し、裸婦の輪郭線をシャ−プで美しい清潔な線で彫り直したい衝動にかられたことと寓意的図像が消し去られたことはやはり象徴的な表現のあり方、絵画の考え方、思想がその間に大きく変わったからであると思う。修正経過によって作品が見違えるようにビュランの代表作に変身した事例として、あるいは永遠の時間に生きた長谷川潔の時間感覚がうかがわれる興味深い作品のひとつである。
ビュランの作品がほんとうに充実して完成の域に達するのは1950年代である。「コツプに挿した枯れた野花」(1950年) などはそのなかでも傑作のひとつであろう。第二次世界大戦中、あるいはその後も長谷川潔は苦難の生活を強いられるようになったが、逆に芸術は深められたと述懐している。「コツプに挿した枯れた野花」は精神的な苦痛や生活の苦難からようやく開放され、やや落ち着きを取り戻した頃の作品である。長谷川潔のこの時代の草花のビュランによる静物画は,対象をできるだけ忠実に人工を加えないで自然の創造主の造化の妙をそのまま画面に定着させようとしている。そのために対象そのものを細部まで観察し、凝視して描写されたものであるが、これをもっと注意深く見ると、必ずしも微細に克明に描かれているわけではない。例えば、西洋のビュランの最高傑作であるデュ−ラ−の「メランコリア・」と比べてみるとそれがじつにはっきりと理解できる。デュ−ラ−のものは線描の細やかさや陰影をつける斜線や点刻などで実体を浮き彫りにする克明な濃密さは長谷川潔のそれとはものの比ではない。しかし長谷川潔のビュランはいかに簡素化された輪郭線だけで美しい純粋な線によって表現しようとしているかが逆に鮮明に浮かび上がる。もちろん、長谷川潔もデュ−ラ−のこの名作を研究したであろうが、濃密に埋めつくされた線が、日本的感性の持ち主である長谷川潔の目には暗く汚く見えたのではないか。
長谷川潔のビュランの研ぎ澄まされた線は日本の伝統美である大和絵の美しい線であるとか、水墨画のきびしい線であるとか、浮世絵の簡素な輪郭線などにみられる日本の伝統美の粋に繋がるものである。それから背景の真っ白な余白なども日本的な空間表現であって、西洋の銅版画にはほとんど見られない。長谷川潔はマニエ−ル・ノワ−ルで独創的なひとつの銅版画の様式をつくりあげたが、ビュランにおいても西洋のもっとも難しい技術をマスタ−して自らの内にある日本人としての感性を統合して日本美の極致ともいえる独自の日本的なビュランの世界を創作したといえる。なればこそ西洋版画の古典的な名作に比べても遜色のない「コップに挿した野花(春)」「コップに挿した野花(秋)」の二点を原版ともル−ブル美術館が購入したことも頷ける。
長谷川潔は自分の素質として堅くてきっちりした、美麗で清澄なものが好きなのだと言っていることからも、このビュランの技法が潔癖で完全主義者である画家自身とすればいちばん自分に適合した技法であると自覚していたのではないだろうか。そして、画家としてもっとも気力の充実した40歳代から60代にかけて、名作「竹取物語」の挿画に加えて、約30点ほどのビュランの作品を制作している。
初出 『版画芸術』NO.106 1999年 『私のめぐりあった版画家たち』(沖積舎)2000年に所収。
長谷川潔の全版画』(玲風書房) 『白昼に神を視る』(白水社) 長谷川潔の画歴
長谷川潔の生涯 長谷川潔の芸術の特色 長谷川潔の芸術
コップに挿した野花(春) 1951年