1891年 | 明治24年 | 0歳 | 12月9日、横浜市西戸部町に第一国立銀行横浜支店長であった長谷川一彦・欣子の長男(5人姉弟の第3子)として生まれる。 |
1898年 | 明治31年 | 7歳 | 横浜市戸部小学校に入学する。 |
1899年 | 明治32年 | 8歳 | この頃から父に論語の素読をうけ、書を習うとともに書画骨董の鑑賞、日本画筆法の手ほどきをうける。 |
1902年 | 明治35年 | 11歳 | 転勤で移り住んだ大阪で、父一彦が死去。東京の麻布に転居。 |
1910年 | 明治43年 | 19歳 | 麻布中学校を卒業する。母欣子死去する。葵橋洋画研究所で黒田清輝に素描を習う。 |
1912年 | 大正元年 | 21歳 | 本郷洋画研究所で岡田三郎助、藤島武二に油絵を習いはじめる。 バーナードリーチを知り、エッチング技法を教わる。 |
1913年 | 大正 2年 | 22歳 | 文学雑誌『聖杯』(後に『假面』と改題)の表紙、口絵を自画・自刻の木版で制作し、短歌雑誌「水甕」の表紙や文学書などの装画を多く手がける。 |
1916年 | 大正 4年 | 25歳 | 永瀬義郎、広島新太郎(晃甫)とともにわが国初の版画グループ「日本版画倶楽部」を結成し、銀座万世橋のミカドと読売新聞社で創作版画展を開催。 |
1917年 | 大正 6年 | 26歳 | 日夏耿之介の第1詩集『転身の頌』の装丁と挿画を手がけ、その頃知り合った堀口大學の詩集や 訳詩集の装丁・挿画を多く制作する。 |
1918年 | 大正 7年 | 27歳 | 12月30日、横浜港より、アメリカ経由でフランスに旅立つ。 |
1919年 | 大正 8年 | 28歳 | 4月4日、パリに到着。10月から1921年まで南仏カンヌとカーネに静養のため滞在する。 油絵を制作し、銅版画、木口木版画、リトグラフなどあらゆる西洋版画の技法を研究する。 |
1923年 | 大正12年 | 32歳 | サロン・ドートンヌをはじめとして、他のサロン、展覧会に油絵や版画作品を出品。 |
1924年 | 大正13年 | 33歳 | デュフィのすすめでマチスやビカソなども出品していたソシエテ・デ・パントル・グラヴール・ザンデパンダン(独立画家・版画家協会)に入会する。 |
1925年 | 大正14年 | 34歳 | パリのヌーベル・エソール画廊で版画の初個展を開催する。 滞在中の東久邇宮の来観を受け、作品を買い上げられる。 |
1930年 | 昭和 5年 | 39歳 | パリで開かれた第1回「航空と美術」展に銅版画数点を出品し、航空大臣1等賞を授与される。 |
1933年 | 昭和 8年 | 42歳 | 本野盛一仏訳『竹取物語』に銅版画(ビュラン)の挿画を多数なし、リーブル・ダール協会から出版される。 |
1934年 | 昭和 9年 | 43歳 | 文部省嘱託員として、日本の版画650点に及ぶ「日本近代版画とその起源」展を組織し、開催に尽力する。 |
1935年 | 昭和10年 | 44歳 | フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を授与される。 |
1937年 | 昭和12年 | 46歳 | パリ国際大博覧会「美術と技術」展に招待出品し、金賞牌を獲得する。 パリで開かれた国際版画会議に日本代表として出席。現代日本版画について講演をする。 |
1939年 | 昭和14年 | 48歳 | 第2次世界大戦が勃発し、サルト県の斎藤豊作氏邸に疎開する。 |
1940年 | 昭和15年 | 49歳 | 日本大使館とともに、ドイツ軍の侵攻にともなって、ボルドー、ビァリッツへと逃避行を重ねる。 |
1943年 | 昭和18年 | 52歳 | ミシェリーヌ・M・ビアンキと結婚 |
1945年 | 昭和20年 | 54歳 | 独・伊敗戦の結果、在留日本人としてパリ中央監獄およびドランシィの収容所に収監されるが、フランスの知人である有力者の尽力により、約1ケ月後に無事解放される。 |
1951年 | 昭和26年 | 60歳 | ルーヴル美術館版画部銅板彫刻部門に「コップに挿した野花(春)」「コップに挿した種草(秋)」の特別刷りと銅原版2点が買い上げられる。 |
1963年 | 昭和36年 | 72歳 | パリのマヌエル・プルケール社から『現代版画巨匠』シリーズの1巻として『長谷川潔の肖像』が出版される。 |
1964年 | 昭和39年 | 73歳 | フランス学士院フランス芸術院コレスポンダン会員に当選し、学士院会議室において、銅版画30点余りを展覧する。 |
1966年 | 昭和41年 | 75歳 | フランス文化勲章を受章する。 サロン・ナショナル・デ・ボザールに出品してマレ賞金を授与される。 現代日本美術展で「メキシコの鳩・静物画」が特別賞を受ける。 『ラルース大百科辞典』に姓名と銅版画の仕事について採録される。 |
1967年 | 昭和42年 | 76歳 | パリ市長からパリ市の金賞牌を授与される。 日本から勲三等瑞宝章を授与される。 |
1972年 | 昭和47年 | 81歳 | フランスの国立貨幣・賞牌鋳造局において、葛飾北斎、藤田嗣冶に次ぐ、日本人画家として3人目として、長谷川潔の肖像を浮き彫りにしたメダルが発行される。 |
1976年 | 昭和51年 | 85歳 | 横浜市長から日仏両文の感謝状と黄金の鍵を授与される。 |
1979年 | 昭和54年 | 88歳 | 横浜市民ギャラリーにおいて長谷川潔展が開催される。 |
1980年 | 昭和55年 | 89歳 | 京都国立近代美術館で自選作品による「銅版画の巨匠・長谷川潔展」が開催される。 フランス芸術院から長年にわたる版画界への功績を讃えて、ポール・ルイ・ヴェイェ賞及び賞金が授与される。 12月13日 死去する。 |
長谷川潔の画歴
魚津章夫編