堀井英男の銅版画(作品の紹介)
堀井英男さんの色彩銅版画について
魚津章夫
堀井英男さんの絵について語る場合に、とくに潮来町の関係者からなんとなく私の耳に入ってくる声を聞きますと、だいたいほとんど、堀井さんの絵はどこがよいのかよくわからない。ちょっとむずかしいなぁ、という声であります。まずそのどうしてわからないのだろうかという点を説明する必要があるのではないかと思います。
ご覧になって見ればわかりますように、堀井さんの絵は今回展示されたものもそうですが、ほとんど版画であります。それも銅版画といいまして、金属の銅の板に傷をつけたり、彫りこんだりして、溝をつくります。その溝にインクをつめて、それに紙をあてて、そのインクを印刷の機械で吸い取らせて、印刷したものであります。
堀井さんの絵の価値がわからないひとつの理由として、まず、この版画というものの価値が、一般にはまだ十分に理解されていないからだと思われるのです。
版画がひとつの芸術として、日本画や洋画(油絵)と同じように認められるようになったのは、ほんのごく最近のことであります。一応、大正時代から版画も立派な芸術なのだという主張が創作版画≠ニ称しまして、ずっとその運動がすすめられてきましたが、ほんとうに一般の社会に浸透しはじめたのは、ちょうど堀井さんが版画をつくりはじめた、すこし前あたりであります。とくに棟方志功さんがサンパウロやヴェネツィア・ビエンナーレという国際美術展でグランプリを受賞するという快挙があって、その後にまた文化勲章をもらったり、続いて、池田満寿夫さんがやはりヴェネツィア・ビエンナーレ展でグランプリ、それ以来、スターとなって話題をまいたりしたこともあって、世間の関心はにわかに高まったのです。
しかしこれも浮世絵と同じように外国人が最初に高く評価して、日本の美術関係者が、それでびっくりしたのであります。とにかく、日本の美術の中で、外国で注目されるというのは、日本画や洋画(油絵)ではほとんどないのですが、版画だけは続々と国際展で受賞して、注目を浴びるのであります。それはどうしてかといいますと、外国人はまず肩書きで絵を見ません。つまり人の言うことを鵜呑みにしないからであります。それから、外国人の眼から見ますと、日本画はどうもあまり特殊な世界で、なじみにくいということもありましょう。また、装飾的で工芸的に見えるのかもしれません。中国の絵とすぐには区別がつかないと言っている人もあります。洋画(油絵)はもともと外国から輸入したもので、外国の作品をお手本として修得されたものが多いので、その源は自分たちのものだという意識が強く、どうも、日本の油絵は独創性にとぼしいと見ているようであります。
それに比べて版画の方は、もともと浮世絵が西洋の印象派や後期印象派の画家たちに大きな影響を与えましたから、まず、日本人の版画的な才能を抵抗なく受け入れる基盤ができていることも有利な条件のひとつだろうと思います。
しかしどうもそればかりではなく、版画の方が、日本人のもっている伝統的な美意識である平面的な造形がうまく応用されていたり、下絵を版画化する段階で、どうしても独自の工夫が必要だということもあって、意識しないでも独創性が発揮されているのかもしれません。また日本人の感覚が繊細で手が器用であることも、小さな画面をきれいにまとめあげることにむいているようです。あるいは版画界の方が、社会的な序列や美術団体の組織から自由なので、思い切った発想や工夫ができるからなのかもしれません。とにかく国際版画展では、日本人がほとんど受賞対象の上位を占めるのであります。
そのように外国では非常に高く評価されている版画が日本国内では、なぜ芸術としてなかなか認められなかったのでしょうか。この問題はやはり、潮来町のみなさんの中にも、多分、版画は印刷物か複製画のような安っぽいものだという意識がなんとなく働いているのではないでしょうか。それと同じような考えで、日本のそれまでの美術界もなかなか、美術品として、認めてくれなかったようであります。
先ほどちょっと申しましたように、こういう意識や状況を打破しなければならないと、ずっといろいろな版画家たちが努力をしてきて、ようやく近年になって版画の美術団体ができたり、美術大学にも版画科が設置されるようになったのであります。そのなかでも、特に啓蒙家として恩地孝四郎という人、この人は1955年に亡くなった版画家ですが、次ぎのように版画は立派な芸術なのだと説明しています。
「版画は版をつかってかく画である。油絵が油画具や筆やキャンヴァスを使ってかくのと同じ様に、板や、刀や、刷毛や機械を使ってかくのである。その方法を創作の手段として採るもので、筆でかいているのと同じことなのだ。版画は創作として、その機能を果たしているのである。版画は手でかくのよりずっと手間がかかる。手でじかにかく場合は一本立てだが、版をつかってかく画は、版をつくることと、出来上がった板を刷る事との二本立てで作画が完成される。二段構えだ。もしその下絵をかくのまで入れれば三段構えであるが、下図は画もかいているし、構えの内には入れないことにする。そして版刻の時には、刷り上がり、刷りの場合の効果をいつも念頭において為さねばならない。かくはじから仕上がってゆく画や彫刻の場合とちがう過程となる。だから、よく手に入らないと、うまくゆかない。なんだってそんな手のかかることをやってまで版画を作るのか、直描きでやった方が簡単でいいじゃないかということになりそうだが、版画はそれだけの手数をかける値打ちがその効果の上にあるからである。直描きでは得られない特徴があり、若しくは直描きでやるよりはうまくゆく様な結果が得られる種類の効果があるからである」。すこし長くなりましたが、恩地孝四郎は、版画の本質をこのように適切に説明して、版画は、日本画や洋画(油絵)と芸術的には、遜色がないばかりか、他にはないすばらしい長所があるのだと言っています。実作者でなければ断言できない含蓄のある名言であります。
それでは高校時代には油絵を描き、芸大では油絵を学び、卒業をしてからもしばらく油絵の発表をしていたのになぜ、堀井さんは版画というものに興味を持ったのか、ということはだれでも最初に質問する事柄でしょう。そのことについて堀井さんは次ぎのように回想しています。
「考えてみれば版画が好きで始めたのではなく、何か自分の脳裏にゆらめく、とりとめのない色や形などを己の絵画として率直に定着させたかった。当時私は、抽象から具象への移行期でもあった。試行錯誤の三十代で焦りがあったのも事実である。そんな折に画面構成の発想法として、版画のもつ特性に気付き、当然のように版画に手を染めるようになった。」
この回想から察しますと、堀井さんは最初から版画が好きで版画家になることを志したわけではなく、あくまで、画家として、表現のひとつとして版画の特性にめざめ、ひとつの絵画として版画をはじめたようであります。これはたいへん重要なことで、堀井さんの版画が絵画的に優れているとたえず評価される理由でもあるのです。堀井さんは単なる版画家ではなくて画家兼版画家(アルチスト・パントル・グラビュール)と称されるべきでしょう。
しかし、堀井さんは油絵から版画に制作を転換したことは、画家として、ひとつの脱皮をしたのだろうと思います。絵を描くということは別の観点から見ますと、自分自身を掘り下げる作業でもあるのです。たえず自分がなにものであるかを探って、本当の自分を捜しつづけることでもあるのです。堀井さんはここで、自分のある資質、あるいは才能を発見したのです。
「油絵のこってりとした油っぽさはどうも自分の体質に合わないのではないか。フレスコ画のような乾いた感触のほうが自分の好みに合っているらしい。たくさん描きためてきたエンピツやパステルの素描の感じをもうすこしストレートに表現できる素材がほかにないものだろうか。」こう煩悶している時に、銅版画という格好の素材に出会うことになったのでした。「硬質な冷たい銅板の上に自分の絵が刻まれてゆくというのは、すごい快感でした。」と、銅板との最初の出会いの実感をこう語っています。堀井さんのデリケートな神経、几帳面で強靭な意思力は銅版画制作者としてはうってつけでした。そして、創られたいくつかの銅版画の中から、第35回日本版画協会展に初めて出品され、それも、協会賞(グランプリ)を受賞することになったのでした。
堀井さんの銅版画は2版多色刷りです。多色といっても、色の数は黒以外に多くて3色です。この3〜4色を組み合わせて絵をつくるのですが、色彩の絵画としては最小限度のものです。このきわめて制約された中で、色の選定や形を決めてゆくのです。堀井さんの版画の最大の魅力は、この極限の中の色の選定と、色と色、色と形の呼応関係から生まれる美しく輝く色彩にあります。おそらくこの色彩感覚は天性のものでしょうが、銅版画でこれだけ色彩を生かしきったものは、ほとんどありませんでした。
大きな作品の日本画や油絵にはその迫力の点ではいくらか劣るかもしれませんが、銅版画の特性を生かしきった堀井さんの版画は、形は小さいけれども宝石のように輝くすばらしいものです。
さて、もうひとつ堀井さんの絵はどこがよいのかわからないという理由を考えてみますと、多分、これがそのほとんどだと思われるのですが、見えるとおりに写実的に物の形を描いていないので、描かれたものをどう解釈してよいのかわからないということではないでしょうか。これまで、このギャラリーで展覧会が行われました小堀進さんや村山密さんの絵はそれぞれ質の高い立派なものですが、それはきれいな花であるとか、美しい風景であるとか、だれが見てもすぐに形がわかる絵なのであります。ところが堀井さんの絵は丸とか線の抽象画であったり、形がだんだん出てきても、なんだかそれが、人間の姿のようにも見えるが顔の表情や服装などもほとんど描きこまれていないし、手や足などは、これもまったくないか、省略されていて、どう見たらよいのかわからないというのが一般的な感想ではないでしょうか。おそらく堀井さんが一般の人たちに、まだ名前が知られるほど有名になっていないのも、このような、すこしむずかしい要素があるからだと思います。実はこのことは本人もよくわかっているのです。堀井さんが小堀さんや村山密さんのようにわかりやすい絵を描かないで、ひとからむずかしい絵だと言われることもすべて承知して、なおかつ、命がけでそのような絵を生涯描きつづけたのでした。それはなぜだろうという疑問を投げかけて、考えてみることが、このような絵を理解するためには、たいへんたいせつなことではないでしょうか。革新的な本当に良い絵は、最初はごく限られた人たちだけに理解され、それがいろいろ説明や解釈がなされて、だんだんと世の中に広まってゆくものなのです。まだ見慣れない絵や新しい芸術の価値の発見は必ずはじめのうちはある種の抵抗があるものです。しかし、ここのところの内容の説明は、芸術の説明としては、もっともむずかしいところでもあるのです。言葉で説明できることや、写真にでも撮ってすぐに提示して説明できることであれば、それは画家が生涯をかけて、命がけでやる仕事ではないのです。画家はあくまで、色と線と形で、ものを言わなければなりません。本当の芸術は感覚を通じて直接私たちの心に訴える何ものかなのです。結局は作品の実物をじかに見て、自ら感じとる意外にないのです。むしろ、言葉で語り得ないことのなかに、画家が本当に言いたいたいせつなものが隠されているものなのです。堀井さんはそれをわかってくれるごく少数の人たちだけにでも、自らの感覚でつみとった、ある真実を伝えようとしていたのです。 それでは私が堀井さんの絵をどれだけ理解しているのかと問いつめられるとちょっと困るのですが、多分、このようなことではないかと私が理解した範囲内で、少し説明することにします。
まず、堀井さんが、物を見たとおり、写真のように物を正確に描かないで、意識的に歪めたり、省略したりするのはなぜなのだろうということですが、堀井さんの場合は、見たとおりに描くというのではなく、イメージで描く、と言ったほうがよいのかもしれません。ある物を細部にこだわって見ますと、つい、本質を見失うものです。ある物の観察を、じかに見たり、スケッチをして最初の感動を記憶におさめますが、堀井さんの場合は、これはもう職業的な習性になっているのでしょうか、物を観る時には、すでに画家の眼で物を見ているのです。対象の細かな輪郭ではなくて、頭の中には、キャンヴァスがあって、対象の細かいところを捨てて、色と形に分解して見ているように思われるのです。「これは絵になるね」とか「これは絵にならないね」と言われたことをよく耳にしましたが、それは自分の頭の中のキャンヴァスの枠内で自分なりの絵にあてはめて対象を見ているのだと思います。またそれにもまして、もうひとつ、そのような絵画的見方ばかりでなく、堀井さんの天才的にスゴイところは、直感的に物の本質をつかみとる力といいますか、物の本質を透視する能力に長けている点であります。そういう不思議な直感的な観察力を別の言葉で言いますと象徴的に幻視する#\力とでも言った方がよいかもしれません。とにかくそういう観察と記憶とイメージ化をくりかえすうちに、しだいによりいっそう物の実態が明確になってゆくのでしょう。それまでは、できるだけ辛抱強く熟成するのを待たなければならないとも言っています。さらに今度は、実際の四角形の画面に納めなければならないわけで、そのためには絵としての色や形の問題として取捨選択がなされなければなりません。そういうくりかえしと苦心の結果、一見、私たちには奇妙で不思議な形態として見えるものに変形してゆくのだと思います。
なんでも細かく見えるとおりに克明に描くことが必ずしもリアルに表現できるとはかぎりません。逆にものをすべて描かないということは、ある部分を強調することにもなり、また、見る者が、自分の体験にしたがって、欠けた部分を自由に想像力で補って、よりいっそうリアリティを高めるという効果もあるのです。
堀井さんに絵の説明を求めても、いつも、おだやかに「ご自由に勝手に見て下さい」と言って、ほとんど自らご自分の絵を解説なさったことはありませんでした。こちらから感想を述べると、たいていは「そう見ていただいて有難いですね」と返ってくるのが常でした。
画家は、やはり、線や形や色で描かれた画面、それ自体で表現して感動を与えるべきであるという、基本的な立場をしっかり堅持されていたのだと思います。
さて、このようなことを念頭におきながら、具体的な作品を見て見ましょう。
例えば、今度の展覧会をご案内するチラシに「虚構の部屋 NO.4」という作品が使ってあります。これは堀井さんの全作品の中でも、きわめて優れた作品のひとつです。フレッシュで力感あふれる代表作品といってもよいでしょう。この絵をご覧になった方で、まだあまり絵を見ることの経験のすくない人は、やはり、何を描いてあるのか、どう解釈してよいのか、ちょっととまどうでしょう。何だかむずかしいゲイジュツのようだ。内心そう思って見るのがふつうかもしれません。絵というものは、美しくて、きれいで、部屋に掛ければ心地がよいものだと思い込んでいる人は、多分、その期待を裏切られるかもしれません。
私はこの絵を最初に見た時に、一瞬ドキッとしました。いくつかの顔や頭らしきものが描かれているので、どうやら何人かの人間の姿らしいのですが、ほとんどはっきり描いてありません。手足なんかも溶けてしまって、もう無くなってしまっているようです。それらがへばりついたり、くっついたり、離れようとしたりして、うごめいている様子が感じられます。もう少し注意して顔の表情を見ると、あるものは悲しげに沈黙していたり、あるものは口を少し開いて、なにやらつぶやいて、言葉を発しているようです。しかし、それらは、ひとかたまりになって、暗い闇の中に浮かんでいるのです。この中ぶらりんな状態は、どことなく不安な気持ちにさせます。地平線の見える荒涼とした風景は、月世界か、どこか静まりかえった、シーンとした宇宙空間のようにも見えます。現実には、このような風景はありませんし、人間もいません。にもかかわらず、私はこの絵を最初に見た時、ドキッと衝撃を受けたのです。それは、後日、なぜそうだったのかは、少しずつはっきりしてゆくのですが、その衝撃とは別に、瞬間的に感じたのは、この絵の内容はなにか不気味なようだけれども、色がとてもきれいだなぁ、と思いました。黒は画面の大部分を占めています。その黒もまっくろで深くてビロードのようにしっとりした美しい黒です。その黒を背景にして、青と黄色、そして抜いた白が絶妙の配置でこの絵をかたちづくっています。そしてどの色も色面としてお互いに強く自己主張していて輝いています。それから今度、構図の観点から見てみますと、画面にはムダなものはひとつもなく、それこそ、不用なものはすべて消し去って、シンプルに単純化されているのです。そのために、この絵のどこにも破綻はなく、すべてがピンと張りつめていて、均衡を保っているのです。構図は決まっているなぁと思いました。とくに中心あたりにある白く抜いた小さな球の効果は全体のバランスを保つものとしてにくいほどのテクニックです。それにしても、この絵の空間、立体感はどうでしょう。宙に浮かんだ物体とそれを囲む枠、そして永遠の彼方のような奥行き、このような空間構成といいますか、空間の効果を、たった二枚の銅版を重ねることによって表現されたものなのです。驚くではありませんか。ここのところが堀井さんの絵づくりのスゴイところです。私はこれまで約30年間、版画をつくる画家や版画家をたくさん見てきましたが、堀井さんほどの完成度の高い美しい色彩銅版画をつくった銅版画家を他に見たことはありません。その意味で堀井さんは、日本の版画の歴史において、ひとつの新しい分野を切り拓いたのだと断言してよいのではないかと思います。
さて、このような完璧な絵画としての構成で、いったいこの絵は何を訴えようとしているのでしょうか。私は最初の衝撃から、いろいろ思いめぐらせているうちに、ハタとあることが思い当たりました。これはきっと堀井さんが幻視≠オた<孤独で悲しげな現代人の姿>を描こうとしているのではないだろうかと思ったのです。ひょっとすると、この絵の中のひとりは、自分かもしれないな、と。最初のドキッとした感じは、そのことに触れたからにちがいありません。この絵の最初の出会いと、その印象を整理すると、だいたいこのようなことであったように思います。
そのうちに、何度かこの絵を見たり、その前後の作品をいろいろ見るにしたがって、いよいよこの絵の内容は私が感じたとおりだと確信を深めたのでした。堀井さんはこの奇妙な人体フォルムを考えついたのは、「ある休日に新宿のデパートの外側に、なにげなく積み上げてあった真っ白いマネキン人形を見て、人間社会におけるあるおぼろげなイメージがそこにぶつかって、シャープにはねかえってきた」と言っています。この絵を制作した頃の堀井さんは、多分、まだ生活の基盤も、画家としての方向も不安定で、苦悩の時代であったろうと思います。日常なにげなく感じていた矛盾だらけの現実、索漠とした都会の生活実感が、この物体化されたマネキン人形を見た時に、突然、象徴的に、現代人の孤独な群像が、鮮明な映像として、はっきりと見えたのでしょう。まさにそういう光景を幻視≠オたのだと思います。
そしてまた、私がこの絵を見て、ドキッと衝撃を受けたのは、おそらく、もうひとつある記憶が呼び覚まされて、共鳴したからではないかと思われるのです。それはかつて学生時代に読んだことのあるリルケの「マルテの手記」のある一節でした。冒頭に「人々は生きるためにこの都会に集まってくるらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくしか思えないのだ」とはじまり、パリのような大都会では人間が無機化して、死でさえもレディ・メイドになってゆくという現代人の人間性の喪失状況が書かれているが、そのような情景が堀井さんのこの絵を見た時に、なんとなく思い起こしていたような気がするのです。このように私の記憶する生活体験や知識が、この絵を見た時に、自分勝手な想像をして、ドラマを想定する誘因となっているわけですが、これは私の個人的な感覚によって生じただけのことで、必ずしもだれでも同じようなことを想像するわけではありません。
このように写実的に見たとおりに描かないで、意識的に歪めたり、ある部分を強調したり、省略することが、逆に、強烈なショックを与えたり、印象を強めたり、想像力を喚起させたりする効果もあるのです。したがって、作家はそういう舞台装置を設定して見る者の側に半分、ドラマの完成をゆだねているといってよいのではないでしょうか。そこが堀井さんの絵のわかりにくいところであり、巧妙に仕組まれたおもしろい心理的な舞台劇でもあるのです。
だいたい以上のような感想で私は同時代の版画家のなかでは堀井さんの色彩銅版画を最大級に評価するひとりであります。
それではみなさん、それぞれ、想像力を豊かにして、堀井さんのほかの作品も見てみようではありませんか。
堀井英男展(茨城県潮来町)のために (1997.10) 初出
『私のめぐりあった版画家たち』(沖積舎刊)より
堀井さんと私 堀井英男さんの追悼展 堀井英男の銅版画業 堀井英男の画歴