清宮質文さんの木版画


魚津章夫

1968年に一度だけ下高井戸の清宮質文さんのアトリエに伺ったことがあります。美術出版社ロビーで開催する個展の打ち合わせのためでした。ところが個展のための展示作品の打ち合わせや作品のことよりも、これから新築される予定のアトリエの自作の模型がテーブルの上に置かれていて、いかにもうれしそうにその模型をいろいろ説明して下さいました。
 ご自分は絵よりも工作の方が得意だったそうです。そしてその時のロビー展で清宮さんの見事な木版画に初めて接することになったのです。それから1980年代のある時期には清宮さんの木版画に惚れ込んで、20点ほどコレクションしていたことがあります。
 清宮さんの版画は純然たる創作版画で、まさに自画・自刻・自刷の典型です。そしてまた寡作であることも有名です。個展で発表した作品を予約しても、刷り上がって届くのに、ずいぶん長時間待たなくてはならなかったそうです。
 
おそらくこういう版画は日本人にしかできないでしょう。木版のぬくもりのある版の性質だとか、和紙に水性の絵の具で、バレンで摺り上げるデリケートな風合いの美しさは、まさに日本人の感性そのものです。全作品に一貫している清宮さん特有の淡い中間色の微妙な色の調子は、自分で苦心を重ねて摺らなければどれひとつの色も出ないでしょう。もちろん、色だけのことでもなく、版の彫り方や形の作り方にも関係していることはいうまでもありません。「版づくりというのは、いわば作曲で、摺りは演奏のようなもの。それがとてもむずかしい」と言われています。

(我が一生)絶えず暗中模索。安住の画境・技術を持たず。(1983年)

このメモがノートに書かれた頃、私は清宮さんにお手紙を差し上げ、作品についていくつかの質問をしたことがあります。そしてそれに対して作品の説明をして下さっていますので紹介いたします。


ご丁寧なお手紙ありがたく拝見いたしました。拙作をそのように思っていただけてほんとうに幸せに存じます。

作品<葦>は

 1958年、第一回個展(旧サエグサ)の折、3点程(会場の絵は春陽会の村山密氏が)注文で摺りましたが版が不備で中止していたのを7年後の1965年、版を修正追加して、改めて50部(L)限定として摺ったのですが、なかなかうまく摺れず、出来たのは27点・ép8点位です。他は破棄しましたので番号はとんでいます。お手紙の作品はそれほど悪い摺りではないので安心しました。尚番号が空いていますが、この作品はもう摺れなくなってしまいました。



葦 1958年 木版



作品<林の中の家>について

 1963年作 限定50 これは全部摺りました。épも何点かあるはずです。
 この2点は注文もあって特に多かったのですが、他の多くは注文も少なく、或いはなく、(初めから、売れるなどとは思っていなかったので限定も3部とか、せいぜい10部位にしていました)それに私のは摺りが面倒で、失敗が多いものですから、注文に応じて摺ったため限定ナンバーに満たないでやめて了ったものもいくつもありますし、また手元に一つ位はおいて置こうと思ったものも、あとからの注文で手放して了い、うちには1枚もない始末です。

 私の場合、木版はあまり古くなりますと版木(桂)の収縮から何枚かの版が合わなくなり、摺れなくなって了います。それにその時の感情からも離れ、色の作り方もわからなくなって了うのです。

 私の作品の経路は最初の頃から、殆ど出来たての南天子と数年前に亡くなられました画商の新井栄太郎さんという方が扱って下さったのですが、古い作品が今、何処に行って了ったのか、わたしにも皆目わからないのです。
たまに南天子で交換会に出たという古いモノタイプなど見せられて冷汗をかくことがあります。
 それから<葦>この絵はどのように見て頂いてもいいのですが、旧約聖書の「出エジプト記」(脱出の書)の第2章、モーゼの誕生のくだりをくだりを参照して頂いても、と思います。

 先ずはとりいそぎ御返事と御礼まで。向冬の折、何卒御自愛下さいますよう。

清宮質文

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魚津章夫


 
清宮さんは話し方も静かでおとなしい方でした。一度私の版画誌『Print Art』に特集でご紹介したいと申しあげましたら、私の作品は本で紹介されるほどの満足できる作品をいまだつくりえないでいるので、どうかそっとしておいてくださいませんか、とほんとうに懇願されるように申されたのでした。

「‥‥一人の人間の内面から生じた『あるもの』が別の人間の内面に働きかける。これは私にはたいへん興味ある問題なのです。過去の人々の数々の美術品。遠い過去に於いてはそれらは純粋に作者の内面を表出する為ではなく、宗教、装飾、記念、その他数々の目的の為に作られたものであったのですが、これらのうちのあるものが、既にその目的離れ、時代を越え、人種を越えて、今われわれを感動させる。これは何故でしょうか。恐らく、その目的とは別に作者が欲した『ある種の欲求』が同じ人間の機能を持つわれわれに働きかけるのだと思われます。これを優れた美術品と呼びます‥‥」(春陽帖42号)

と芸術の作用について書き残されていますが、清宮さんはたえずここに言われている「あるもの」とか「ある種の欲求」を小さな版画のなかで追い求められていたのでしょう。

「あるもの」とか「ある種の欲求」はその人のもつ魂といってもよいのでしょう。それは言 語による文学や音による音楽でも出現させることができるものなのでしょうが、清宮さんはわずかな色と形の木版画でこれを出現させようとしました。そして本人が亡くなられた今もますますその「あるもの」つまり清宮さんの作品に現れた魂と呼応する人たちが跡を絶つことはありません。

 清宮さんは私がめぐりあった版画家のなかでも最も尊敬すべき優れた芸術家のひとりです。

『私のめぐりあった版画家たち』2000年 沖積舎刊所収

「さまよう蝶」清宮質文

現代版画の黄金時代

魚津章夫の現代版画コレクション