小さな美術館の展覧会の現場から<中島通善展>

       魚津章夫



 展覧会を企画していちばん気になるのは当然のことではあるが、鑑賞者の反応である。それも批評の言葉ではない。最初に作品を見た瞬間の顔の表情や目の輝きである。あるいは体全体であらわす反応である。注意深く毎回それを観察する。その時、その人の感受性や教養や人間性のすべてが現れる。そのためにできるだけ会場に張り付いている。私はいつも展示場に入った第一歩の展示効果を大切にしている。最初の数点を見て「これはすごい」と思わせ、食い入るようにその画家の世界に導入できれば成功である。今年の7月に開催した版木画「中島通善展」はその点で感動的な最高の手ごたえを得た展覧会であった。来館者のほとんどの人は多少緊張気味で固い顔をして入館するが、帰る時にやさしい表情で「遠いところから見に来てよかった」などと受付の女性に感謝の言葉をかけてお帰りになる。本当はこの生の反応が直接作家に伝われば、作家はまた奮い立って、みんなをよろこばせようとしてよりよい作品をつくるだろう。こういうことこそ文化を生み出す原動力となるのだと思う。画廊での個展であればそのような親密なコミュニケーションが時折あるだろうが、今日全国にたくさん出来た公立美術館では企画も教科書的にパターン化されていて、また企画会社への外注の巡回展などではこのような経験は難しいだろう。この小さな美術館のいちばん大切な現場で最良のおいしいところを享受しているのが受付の女性で、それを私が眺めてよろこんでいる。
中島通善さんという版画家を県内あるいは北陸三県でもほとんど知る人はなかったと思う。もちろん、全国の公立美術館では初めての展覧会である。町の関係者ではもちろん誰も知る人はなかったけれども、こういう企画が了承されて、実現できるのも地方の小さな美術館の良いところでもある。実は企画の立案者である私自身も中島通善さんとは20年以上のつきあいがあって、その仕事にはたえず注目してきたが、東京を離れたために6~7年の間、新作の実物をほとんど見ていなかったのである。ところが、展示のために準備された101点の作品が到着して、一点一点の作品を見てみると、その仕事のすばらしい進展ぶりに驚嘆したのである。私はすでに中島さんの木版画を密かに20数点コレクションしているが、それでもその後の仕事の充実ぶりには目を見張ったのである。
展示作品の中に「おぼろ月」という作品があった。今度の展覧会は過去40年の作品の中から作家自身が選りすぐったベストセレクションの回顧展で、最良の摺りのものでもちろん全部非売であった。ところが、あるご婦人が感動のあまり、ぜひその「おぼろ月」を手に入れたいという。そこでなんとかならないものかと中島さんにしつこく交渉したところ、「一週間ぐらい待っていただければ、一枚摺ってあげましょう」とありがたい返事をいただいた。私はこの作品を選んだそのご婦人の鑑識眼の高さに驚いた。というのは普通の素人の版画の愛好家はこのような作品にはお金を出さない。この絵は一見単調なのだ。ただ版木を丸く削って摺っただけで、細かい技巧をこらした緻密な作品ではない。初歩的な愛好家は細かく描きこんだ労力に対してはその対価としてのお金は払うものだ。しかもこの作品は小さい。またけっして安くはない。このような作品に惜しげもなく大金を投じたその勇気と決断に驚いたのである。このご婦人はかなり絵を見ることに精通していて、ただものではないと私は直感した。
 じつはこの作品は作家自身がいちばん気に入っている作品のひとつなのだ。他に克明に彫りこんで、技巧をこらした大作がたくさん展示されている。どれもこれもすばらしい。しかし、この「おぼろ月」という作品はそういう細部の技巧をほとんど捨て去って、版木の木目の模様を生かして摺りの技術だけで、おぼろ月の情感を表している。つまり自分の作為をできるだけ隠して、素材そのものに作家の感性を語らせようと、肩の力を抜いて本質的なものだけを浮かびあがらせている。しかし、それを成功させている秘密はやはり絶妙な摺り≠ノある。これは中島さんが自分の作品のことを従来の木版画ではなく、それと区別して「版木画」とよんでいるもので、この作品こそまさにその「版木画」の真髄をみることができる代表例なのである。
 一週間経って作品が送られてきた。展示されているものと私にはその摺りの良し悪しが判別できないほどの同じ状態のものだ。ご婦人はおおよろこびで代金を支払ってお持ち帰りになった。ある時、中島さんはその時のことを電話で私に次ぎのように告白された。「あの作品は摺りが一番むつかしい作品です。何日もかかって、16回も摺り直してようやく納得のゆくものに摺りあがったものなのです。これはお客様には内緒の話です」。
 私は中島通善さんの版画に対する真摯な姿勢と、この木版画がいかに精魂をこめて摺られたものであるかが理解され、熱い感動を覚えた。
ご婦人が作品を持ってお帰りになった翌日、今度は美大で学んでいるという息子さんが友達を連れて見にやって来た。「あなたのお母さんはなかなかの人ですね。」と言って、なぜそう感じたかを説明して褒めてあげたら、笑顔で「ぜひお袋に言ってやります」といってかなり熱心に長時間会場の作品を見て帰って行った。その翌日にこんどはその息子のおじいさんとおばあさんが見に来られた。結局、家族全員、遠い所から見に来て下さったのである。
これはひとつの印象的な出来事ではあるが、さまざまな感動を呼び起こして、まったく一人として誰も知らなかったこの小さな町の美術館に中島さんのすばらしい木版画を見るために二千数百人の人たちがつめかけた。車で一時間以上かかる所から四回も見に来られた人もいた。

 ◎上の写真は展覧会場の朝日町立ふるさと美術館                                
                                                  (『実業之冨山』2006年1月号所収)


中島通善の版木画(作品の紹介)

中島通善 年譜

中島通善さんの版木画(魚津章夫)


TOPに戻る