私が最初にヨーロッパの美術館を訪ねたのは1973 年で、その年の春はロンドンのナショナルギャラリー、パリのルーブル美術館、印象派美術館、マドリッドのプラド美術館などを見て回った。そして暮れには再びルーブルを見て、ニューヨークに飛び、ニューヨークの近代美術館やメトロポリタン美術館、グッケンハイム美術館なども見学した。しかしこの頃は普通の観光客と同じような意識で、はじめて見る数々の西洋絵画の名画に圧倒され、鮮烈な印象を受けつつもあまり問題意識をもって見ていたわけではなかったようだ。1980年ごろから頻繁にパリに出かけることになり、今度は計画的に十分に下調べや準備をしてフランス以外の西洋絵画の発祥の要所であるイタリア、ベルギー、オランダ、スペイン、ドイツなどの各都市の美術館を1990年ぐらいまで約10年間見て訪ね歩いた。その間、雑誌『実業乃富山』に「名画をたずねて」という連載記事を100回(8年4ヶ月)書き続けることになった。ここに紹介する『私の名画100選』はその記事を再録したものである。私は学者ではないので細かい史実にはこだわらなかった。これらは実際にこの目で確認した印象と書物で西洋絵画について学習したまとめのようなものである。いわば私が美術活動するための肥しのようなものかもしれない。またこの時のいきさつを『私のめぐりあった版画家たち』(沖積舎刊)の中で「ヨーロッパ美術館行脚」として記述してあるので、併せてお読みいただければ有難い。 |
マサッチオ (1401~1428) サンタ・マリア・デル・カルミネ教会(フィレンツェ) フィレンツェのアルノ川のほとりの少し入ったさびれた広場に面して、ひっそり建っている古びた教会がある。サンタ・マリア・デル・カルミネ教会である。その薄暗い教会の袖廊の一角に、ロープで仕切られ、電燈が灯された礼拝堂があり、正面と両側面には、びっしりと壁画が描かれている。じつは、この壁画こそ、ルネサンス絵画の発祥というか、近代絵画への道を切り開いた有名なブランカッチ礼拝堂なのである。書物の知識での想像よりもはるかに狭い空間であり、壁面である。こういう大きさや、色彩や質感の印象の違いにとまどうことはよくあることだ。 |
フラ・アンジェリコ (1387?~1455年) サン・マルコ修道院美術館 (フィレンツェ)
なんと美しい絵なのであろうか。神が住んでいる天国とは、こんなにも優しく、豊かで清澄なのであろうか。この絵の前に立てば、だれしも、この祈りに満ちた瞑想的な気分にひたり、やがてこの画家の偉大さに畏敬を感ずるようになるであろう。 フィレンツェのサン・マルコ寺院のフラ・アンジェリコ美術館にこの受胎告知の壁画がある。美術館といっても修道院の僧院がそのまま美術館になったものだ。1438年にこの修道院は建築家のミケロッツォによって再建されることになったが、50歳を過ぎたフラ・アンジェリコがこつ然とこの修道院に現れ、1445年のローマに発つまで再建工事に併行して、この修道院の回廊の壁面や僧房の壁面につぎつぎと一連の絵を描いていった。 フラ・アンジェリコはフィレンツェの隣村のヴィッチオで生まれた。マサッチオとは同年の同郷である。身分の低い出であったが、20歳の時にフィエーゾレのトミニカン派の修道僧になった。本名はフラ・ジョバンニ・ダ・フェーゾレと言ったがアンジェリコ(天使のような僧)と呼ばれていたくらいだから、たいへん敬虔な信仰者であった。 彼は聖書の物語を絵で表すという仕事は天命であると深く信じきっていた。彼の生活は、祈りをするか、絵を描くか、病人を見舞って看病するかの毎日であった。 ある時、エウゲニウス4世は彼をフィレンツェの大司教に任じようとしたが、自分にはそういう資格がないと公言して辞退した。それほど無欲で謙虚な人間であった。ヴァザーーリによれば、一度着想した画想は神の教示であり、絵のかたちを変えたり、補筆をするようなことはなく、最初の着想どおりに完成したと述べている。また常に祈りながら涙して筆をとっていたとも言われている。 「受胎告知」という主題の絵はキリスト教美術のなかでも、しばしば描かれる図像ではあるが、このフラ・アンジェリコのものはいささか様子がちがっている。精霊を象徴する鳩や、大天使ガブリエルがふつう手に持っている棒、マリアが持っているはずの本など、説話的な象徴物がことごとく姿を消している。とにかくすっきりと簡略化されているのである。これは、ひとつには、フレスコ画であるために、技術の性質を考えて、できるだけ画面の整理と簡略化をはかったためか、あるいは、新しい試み、つまり、マサッチオ的な遠近法や、明暗の効果を高めるために、おもいきって画面を単純化したのにちがいない。ともあれ、この極端な省略が、見事に、端正で、明晰で、しかも上品なかたちをつくりあげることになった。しかし、なんといってもフラ・アンジェリコの魅力は、この画面からかもし出す、精神的に深い内面性にある。しかもそれが美しい明るい色彩によってこころよくやわらげられている。 フラ・アンジェリコは、マサッチオには絵画の方法を学んだが、生きた現実のありのままの人間を表現することはしなかった。そのためには自分自身も神に近づく修行をしたのだ。この「受胎告知」はそのような執念をそのまま今日に伝えている。この絵は壁面に描かれたフレスコ画であるから、この僧院に来なくては味わえない。 |
ピエロ・デルラ・フランチェスカ (1415/20~92) ロンドン・ナショナル・ギャラリー (ロンドン)
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死せるキリスト
アンドレア・マンテーニャ (1430年ごろ~1506年) ブレラ美術館 (ミラノ) ![]() キャンバス・テンペラ 66×81㎝ 11480年頃
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パウロ・ウッチェロ (1397~1475年) ロンドン・ナショナル・ギャラリー (ロンドン)
パウロ・ウッチェロのこの絵は3枚の連作のうちのひとつである。他の2枚はフィレンツェのウフィツイとパリのルーブルにある。このロンドンのものが色彩がいちばん鮮明であるが、いずれもこの同じ美術館にあるこの画家のゴチック風の華麗な幻想画、「竜を退治する聖ゲオルゲウス」と比べると何かゴツゴツして暗い印象をうける。 |
フラ・フイリッポ・リッピ (1406年ごろ~1469年) ウフィーツィ美術館 (フィレンツェ)
この絵のイエスの顔や、天使の顔はけっしてかわいいとはいえないが、横向きのマリアはとてもチャーミングである。数ある聖母子像の名画のなかでもこの「聖母子と二人の天使」はもっとも魅力的なもののひとつである。同じ聖母でも、このウフィーツィ美術館の最初の部屋にあるチマーブエやジオットの聖母にくらべると、この頃のフィレンツェの絵画は、中世的な絵画を脱皮して、どのような絵画をめざしていたかという革新の意味が歴然とわかるのである。 |
サンドロ・ボッティチェルリ (1444年ごろ~1510年) ウフィーツィ美術館 (フィレンツェ)
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レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452~1519年) サンタ・マリア・デルレ・グラツィエ教会 (ミラノ)
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ミケランジェロ・ブナロッティ (1475~1564年) ヴァチカン美術館 (ローマ)
ヴァチカン美術館の複雑な順路を通って、奥まったシスティナ礼拝堂に入ったとたん異様な迫力に圧倒された。これはもう絵画というよりも、狂気と執念が生んだ巨大な宇宙空間である。長さが40m、幅13mの半円形の天井いっぱいにびっしりと(天地創造)からの9場面がフレスコ画で描かれているのだ。さらに正面にはあの〝最後の審判〟の大画面がある。側壁上方部を含めて約300人の人物を1000平方mに描きこまれている。右側の壁面は現在修復中であるが、観客の驚きと興奮のざわめきが、この礼拝堂特有の音響となり、いっそう異様な効果を高めている。 ミケランジェロはこの天井画を法王から命ぜられたとき、何度も辞退したそうである。自分は彫刻家であって、画家ではないともいった。この仕事を引き受ければ、もともと彫刻家であるミケランジェロがきっと失敗するにちがいないと、建築家ブラマンテの策略で法王にすすめたとも言われている。が、ともかく着工することになった。彼は何もかも一人でやらねば気がすまなかった。旧約聖書の天地創造をテーマに決めて、ひとつひとつの細かい人物のデッサンを描き、下絵をつくり、天井の壁に写さねばならなかった。実際に足場をつくり着工したのが1508年で、彼は寝食を忘れ、人さの交際も避けて、それに没頭することになった。靴はいたまま仕事をしたり、寝たりしたので足にくっついてしまった。いつも天井を見上げて作業を続けていたので首が曲がってしまい、手紙を受け取っても、上を持ち上げて、反り返ってよまなければならなかった。それは肉体的な努力だけでも気が遠くなるほどのものであった。準備の日数も加えれば、約4年半、1512年10月31日にやっと完成した。さらに正面の〝最後の審判〟は、この天井画の完成後20数年を経て依頼され、1535年から6年余りかけて完成された。その時にはミケランジェロはすでに65歳になっていた。ゲーテはこの天井画を見て、「システィナの礼拝堂を見ないで一人の人間が何をなし得るか考えることはできない」と感嘆している。 |
ラファエロ・サンツィオ (1483~1520年) ガルレリア・パラティーナ 〔ピッティ王宮絵画館〕(フィレンツェ)
ルネサンスの至宝、ラファエロの代表作品が11点も所蔵されているのが、フィレンツェのピッティ宮にあるガルレリア・パラティーナである。当時ラファエロルロの作品1点を手に入れるのにヨーロッパの王侯たちが国力をあげて競っていたというから、これだけのコレクションはまさに驚異的なものなのだ。 |
ジョヴァンニ・ベルニーニ (1430~1516年) ボルゲー美術館 (ローマ)
ローマのボルケーゼ美術館にあるこの「聖母子」は小さな作品である。壮大な祭壇画のモニュメントや痛々しいキリストの受難像などのおびただしい量の宗教画がびっしりと展示されているなかで、このほほえましい「聖母子」に出会ったとき、ほっと心やすまる思いであった。やさしい聖母の下向きの表情やキリストの可愛いしぐさなどは思わずほおづりのしたくなるほどのものであるが、画面全体は静寂さにつつまれている。あのリッピが自分の恋人をモデルにしたであろう世俗化された聖母子像よりもさらにやさしく、おだやかなものだ。「マドンナの画家」と呼ばれるラファエロよりも数十年前に、すでにこのような魅力的な「聖母子」が描かれていたのだ。 |
ジォルジョーネ (1476-8~1510年) ウィーン美術史美術館 (ウィーン)
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ティツィアーノ・ヴェチェルリォ (1489頃~1576年) アカデミア美術館 (ヴェネツィア)
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ロレンツォ・ロット (1480~1556年) アカデミア美術館 (ヴェネツィア )
この絵はヴェネツィアのアカデミア美術館で、私がもっとも心をひかれたもののひとつだ。ジョルジョーネやティツィアーノに続いて、ヴェネツィアでは、いっそうきらめく光と動きのある劇的な構図で大作を描いたティントレットや豪華絢爛たる色彩で、しかも均衡と調和の世界をくりひろげたヴェロネーゼは、まさに16世紀に栄華をきわめたヴェネツィアの公共の建築物につぎつぎと大規模な絵を飾りたてた。そういう栄光を讃えた絵画は、どちらかというと、おおらかで、自由な気風にあふれたものであるが、このロレンツォ・ロットの肖像画はどうだろう。富める歓楽とはうらはらに、まことに、どこかうら寂しい悲劇的な絵に感じられるのだ。 |
ヤン・ファン・アイク (1390年ごろ~1441年)
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ヒエロニムス・ボッス (1453年ごろ~1516年) ウィーン美術大学付属美術館 (ウィーン)
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ピーテル・ブリューゲル (1525ごろ~1569年) ウィーン美術史美術館 (ウィーン)
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アルブレヒト・デューラー (1471~1528年) パリ国立国会図書館 (パリ)
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板(菩提樹材) 油彩 226.1×175.9㎝ 1521年
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ルーカス・クラナッハ (1472~1553年) シュテーデル美術館 (フランクフルト・アム・マイン)
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アルブレヒト・アルトドルファー (1480年ごろ~1538年) ミュンヘン・アルテ・ピナコテーク美術館 (ミュンヘン)
ミュンヘンのアルテピナコテーク美術館が誇る代表的な名作。バイエルン大公ウィルヘルム4世が居城の一室を飾るために8人の画家たちに依頼したが、この絵はその中のひとつ。
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ハンス・ホルバイン(子)
(1497/98~1543年)
板・油彩 207×209㎝ 1533年
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フラ・バルトロメオ・デッラ・ポールタ (1475~1517年) ガルレリア・パラティーナ 〔ピッティ宮・王室絵画館〕 (フィレンツェ) 板・油彩 1516年ごろ
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アンドレア・デル・サルト (1486~1530年) ウィーン美術史美術館 (ウィーン) 板・油彩 99×120㎝ 1519/20年
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コレッジオ (1489ごろ~1534年) ウィーン美術史美術館 (ウィーン) キャンバス・油彩 163×714㎝ 1531年
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ヤコポ・ダ・ポントルモ (1494~1557年) シュテーデル美術館(フランクフルト・アム・マイン) 板・油彩 89.7 ×70.5㎝
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ロッソ・フィオレンテーノ (1494~1540年) ウフィーツィ美術館 (フィレンツェ) キャンバス 油彩 160 ×117㎝
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フランチェスコ・パルミジャニーノ (1503~1540年) ウイーン美術史美術館 (ウイーン) 板絵・油彩 直径24㎝
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アーニョロ・ブロンズィーノ (1503~1572年) ロンドン・ナショナル・ギャラリー (ロンドン) 板・油彩 146 ×116㎝
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ヤコポ・ロブスティ、ティントレット (1518~1594年) アカデミア美術館 (ヴェネツィア) キャンバス・油彩 415× 541㎝
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エル・グレコ (1541~1614年) プラド美術館 (マドリード) 油彩・キャンバス 315 ×174㎝
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パオロ・ヴェロネーゼ (1528~1588年) アカデミア美術館 (ヴェネツィア) 油彩・キャンバス 1280 ×550㎝
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ミケランジェロ・メリジ・ダ・カラヴァッジオ(1571~1610年) ヴァチカン美術館 (ローマ) 油彩・キャンバス 300.4×203.2㎝
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主よ、何処へ行き給う ロンドン・ナショナル・ギャラリー (ロンドン) 油彩・板絵 77.4× 56.3㎝ 1601~1602年
カルラッチは非常に重要な画家であるにもかかわらず、私のこの画家への関心はいちじるしく乏しかった。ローマではあまりにもカラヴァッジオに強烈な衝撃を受けていたので、このアンニバーレ・カラッチの最大の仕事、パラッツォ・ファルネーゼの数部屋のフレスコ画を見逃してしまった。またボローニャにも滞在しながらもこの画家の絵を何ら探索することなく、この町を去った。 |
ディエゴ・ベラスケス (1599~1660年) プラド美術館 (マドリード) 油彩・キャンバス 318× 276㎝ 1656年
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フランシスコ・デ・スルバラン (1598~1664年) ルーブル美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 250×222㎝ 1629年頃
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バルトロメ・エステバン・ムリーリョ (1617~1682年) ![]() 油彩・キャンバス 134×54㎝ 1645~54年
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ホセ・デ・リベーラ (1590~1652年)
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ル・ナン兄弟 (1590~1652年) ルーブル美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 113.3×159cm 1642年頃
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ジョルジュ・ドゥ・ラ・トゥール (1593~1652年) ルーブル美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 97.8×64.8cm 1645年頃
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フィリップ・ド・シャンパーニュ (1602~1674年) ルーブル美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 91.0×72.0cm 1650年
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ニコラ・プッサン (1594~1665年) ルーブル美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 85.0×121.0cm 1638~39年
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クロード・ロラン (1600~1682年) ルーブル美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 103.0×113.7cm 1639年
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フラシス・ハルス (1585~1666年) マウリッツハイス王立美術館 (デン・ハーグ) 円形の板に油彩 直径29.5cm 1620~25年頃
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レンブラント・ファン・レイン (1606~1669年) アムステルダム王立美術館 (アムステルダム) 油彩・キャンバス 363×437cm 1642年
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ヤン・フェルメール (1632~1675年) マウリツホイス美術館 (デン・ハーグ)
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ペーテル・パウル・ルーベンス (1577~1640年) アントワープ市大聖堂 (アントワープ) 油彩・キャンバス 420×310cm 1614年
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ヴァン・ダイク (1599~1641年) アルテ・ピナコテーク美術館 (ミュンヘン) 油彩・キャンバス 81×69cm 1622年
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ジァン・アントワーヌ・ヴァトー (1684~1721年) ルーブル美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 129×194cm 1717年
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ジァン・パブティスト・シメオン・シャルダン (1699~1779年) ルーブル美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 32.5×42cm 1737年
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ジァン・オノレ・フラゴナール (1732~1806年) ウォーレス・コレクション (ロンドン) 油彩・キャンバス 81×64cm 1767年
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ウィリアム・ホガース (1697~1764年) ロンドン・ナショナル・ギャラリー (ロンドン) 油彩・キャンバス 69×89cm 1743年
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ショシュア・レノルズ (1723~1792年) ロンドン・ナショナル・ギャラリー (ロンドン) 油彩・キャンバス 236.2×145.4cm 1782年
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トマス・ゲインズバラ (1727~1788年) ロンドン・ナショナル・ギャラリー (ロンドン) 油彩・キャンバス 69.8×119.4cm 1748~50年頃
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ジャック・ルイ・ダビッド (1748~1825年) ルーブル美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 330×425cm 1784年
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ジャン・オーギュスト・ドメニク・アングル (1780~1867年) ロンドン・ナショナル・ギャラリー (ロンドン) 油彩・キャンバス 120×92cm 1856年
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フランシスコ・デ・ゴヤ (1746~1828年) プラド美術館 (マドリード) 油彩・キャンバス 97×189cm(2点同寸)上 1790年頃 下 1800年頃
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テオドール・ジェリコー (1791~1824年) ルーブル美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 491×716cm 1819年
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ウジェーヌ・ドラクロワ (1798~1863年) ルーブル美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 395×495cm 1827年
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ウィリアム・ブレイク (1757~1827年) テイト・ギャラリー (ロンドン) 紙・色彩銅版画 46×60cm 1795年
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ジョセフ・ターナー (1775~1851年) ロンドン・ナショナル・ギャラリー (ロンドン) 油彩・キャンバス 91×122cm 1838年
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ジョン・カンスタブル (1776~1837年) ロンドン・ナショナル・ギャラリー (ロンドン) 油彩・キャンバス 130.2×186.4cm 1821年
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孤独な木 カスパール・フリードリヒ (1774~1840年) ベルリン王立近代美術館 (ベルリン) 油彩・キャンバス 55×71cm 1823年
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ジャン・パティスト・カミーユ・コロー (1796~1875年) ルーブル美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 65×89cm 1864年 |
ジャン・フランソワ・ミレー (1814~1875年) オルセー美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 83.5×111cm 1864年
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オノレ・ドーミエ (1808~1879年) ルーブル美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 60.5×82cm 1864年頃
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ギュスターブ・クールベ (1819~1877年) オルセー美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 315×668cm 1849~50年
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エドゥワール・マネ(1832~1883年) オルセー美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 130×190cm 1863年
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エドガー・ドガ(1834~1917年) オルセー美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 56×46cm 1868~69年頃
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クロード・モネ(1840~1926年) マルモッタン美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 50×65cm 1872年
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ピエール・オーギュスト・ルノアール(1841~1919年) コートールド美術研究所美術館 (ロンドン) 油彩・キャンバス 80×64cm 1874年
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ポール・セザンヌ(1839~1906年) オルセー美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 74×93cm 1895~1900年
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フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890年) 国立ゴッホ美術館 (アムステルダム) 油彩・キャンバス 72×90cm 1888年
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ポール・ゴーギャン(1848~1903年) オルセー美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 141×91cm 1898年
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トゥールーズ・ロートレック(1864~1901年) オルセー美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 86.5×45cm 1889年頃
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ジョルジュ・スーラ(1859~1891年) オルセー美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 185.5×150cm 1890~91年
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ジェームス・マックネィル・ホイッスラー(1834~1903年) オルセー美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 144.1×162.6cm 1871年
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ギュスターヴ・モロー(1826~1898年) ギュスターヴ・モロー美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 142×103cm 1876年頃
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沼の花、悲しげな人間の顔 オディロン・ルドン(1840~1916年) パリ国立国会図書館 (パリ) リトグラフ 29×23.8cm 1885年
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グスタフ・クリムト(1862~1918年) オーストリア美術館 (ウィーン) 油彩・キャンバス 100×180cm 1907~8年
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フェルディナント・ホドラー(1853~1918年) ノイエ・ピナコテーク (ミュンヘン) 油彩・キャンバス 150×295cm 1892年
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エドヴァルト・ムンク(1863~1944年) オスロムンク美術館 (オスロ) リトグラフ 150×295cm 1895~1902年
この世のすべてが動きを止める束の間 お前の顔に地上の真のすべてが宿る 熟した果実のように朱いお前の唇が 苦痛の耐えかねるかのように開く その屍の微笑 今や死の手が生に触れる 鎖はつながれ、今は亡き幾千の種族が 後の世の幾千の世代と結ばれる ムンクは生まれながら感受性の強い子供であったが、その幼年期から重なる悲運が彼に襲い続けた。5歳の時、母親が結核で亡くなり、その頃から父親が異常な精神状態となり、14歳の時に今度は姉が2年間も闘病の末、死亡。さらに弟もはやくこの世を去り、妹は精神分裂症で入院し、ムンク自身も気管支炎とリューマチ熱に苦しみ、絶えず死と隣り合わせであった。「病気と狂気と死が私のゆりかごの番をする黒い天使であり、生涯私につきまとって離れなかった」と後年に記している。 |
アンリ・ルソー(1844~1910年) ニューヨーク近代美術館 (ニューヨーク) 油彩・キャンバス 129.5×200cm 1897年
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ピエール・ボナール(1867~1947年) プチ・パレ美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 92×147cm 1936年
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アンリ・マティス(1869~1954年) パリ国立近代美術館 (パリ) 切り紙絵 292×396cm 1952年
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ジョルジュ・ルオー(1871~1958年) パリ国立近代美術館 (パリ) 油彩・キャンバス 66×52cm 1925年
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ヴァシリー・カンディンスキー(1811~1944年) レンバッハ美術館 (ミュンヘン) 油彩・キャンバス 77.5×100cm 1911年
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パウル・クレー(1879~1940年) ベルン美術館 (スイス) 油彩・カゼイン塗料 キャンバス 100×126cm 1932年
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ラウル・デュフィ(1877~1953年) パリ市立近代美術館 (パリ) 油彩・ キャンバス 88×98cm 1925年
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パブロ・ピカソ(1881~1973年) ニューヨーク近代美術館 (ニューヨーク) 油彩・ キャンバス 244×234cm 1907年
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ジョルジュ・ブラック(1882~1963年) パリ国立近代美術館 (パリ) 油彩・ キャンバス 100×71cm 1912年
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フェルナン・レジエ(1881~1955年) パリ国立近代美術館 (パリ) 油彩・ キャンバス 154×188cm 1948~9年
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モーリス・ユトリロ(1883~1955年) パリ国立近代美術館 (パリ) 油彩・ キャンバス 62×46cm 1911年頃
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アメデォ・モディリアーニ(1884~1920年) グッケンハイム美術館 (ニューヨーク) 油彩・ キャンバス 100×64.8cm 1918~9年
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エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー(1880~1938年) パリ国立近代美術館 (パリ) 油彩・ キャンバス 100.5×77.5cm 1912年
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ジョルジォ・デ・キリコ(1888~1910年) 個人蔵 油彩・ キャンバス 50×70cm 1972年
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マルク・シャガール(1887~1985年) パリ国立近代美術館(パリ) 油彩・ キャンバス 233×136cm 1915~7年
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ジョアン・ミロ(1893~1983年) ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク) 油彩・ キャンバス 65×100cm 1923~4年
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ピエト・モンドリアン(1872~1944年) ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク) 油彩・ キャンバス 127×127cm 1942~3年
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マルセル・デュシャン(1887~1968年) パリ国立近代美術館(ニューヨーク) 皮鞄・デュシャン作品の複製ミニチュア 40×37×8.2cm 1941年
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