物を描き、景色を描くことは、結局は自然物象の本体を観得する眼力を培うこと
である。私は、ゆるす限り写生の行を心がけるのはその為である。

風になびく  富士の煙の空にきえて  行方も知らぬわが思ひかな    (西行)

あしよしを  思ひわくこそ苦しけれ  只あらるれば  あられける身を  (西行)

人を知る者は知なり。自ら知る者は明なり  (老子)

画家にとって、自分の作柄を、自分が知るということは、難問中の難問である。

画面上の格闘は結局は普遍的実在感の表現把握ということにつきる。或いは不易
の生命、リアリティの探求といってもよいが、そのためには、他力の道、物象讃
仰の態度が凡才の身には一番かなったことであると信じている。

「脚点は守るべく視野は遠大なれ」だが、公正無私、捉われない立場にたつこと
はしかし容易なことではない。

大衆の中にまじわり、時流にわずらわされず、しかも、自己の確信を生きる。

 私は写実を根基とした、具象の立場に立つ。所謂、客観主義である。別な言い
方をすれば、自然の生命に随順して他力の道を歩むものである。「画家の思想とは
、画面との格闘それ自体である。その証は作品によって示すよりほかに手だては
ない」というのが、私の持論であるから、何をどう語ってみても、貧弱な私の作
品が示す以外のことは、何一つ語ることはできない。

「和而不同」(孔子)        「和光同塵」(老子)

「姿は似せ難く、意は似せ易し」  (本居宣長)

具象の画面でも、或いは抽象の作品でも、その形姿は似せ難し。同一の姿という
ことは有り得ない。同じ主張を掲げて歩むとしても、己をつくせばつくす程、自
然と個にならざるを得ないのである。

「芸術はかならずしも時代の子ではない」

「時流は時に、一種の戯画を描くものだ」

「一本の木に完全に同じ葉は二枚とみつからない」(ゲ−テ)

どのような道をたどるにせよ、根を培うことが何より大切である。

自然の讃仰に徹すること、自然の妙諦にこの小我を随順せしむること、これ以外
に余輩の生きる道はない。何れにせよこの心境に至り得ることは中々の難行苦行
である。誠実と、謙譲と、不断の努力、この一貫したこころの決定。
                            (1945年2月17日)

故人は書画同法を謂い、或いは知徳一如、心技一体を謂う。我はこの古人の言葉
を今更に新しき世代の芸能上の道とせねばならなぬことを深く信ずるものである。
                            (1946年3月17日)

去来抄中の「謂ひおほせて何かある」に示した意味を、この我が写実の真義にも
意味づけたい。棟方先生は生まれ乍の稟性が筆端、魂叫ぶを楽々と現出する。我
らは、鈍器凡手、今後の苦行によって、低くともよし、一個の山容を形成せねば
ならぬ。細くともよし、枯渇することなくやがて蒼茫大海へつながる独自の流れ
を望まねばならぬ。                   (1946年7月29日)

世は混濁混乱をつづけている。経済的な危局は、日本国崩壊の一歩手前にある。
余輩のとる可き態度、進むべき道や如何に。

芭蕉の「ただこの一筋にかかる」にあやかり、余もまた「この画業一筋の進展に
かかる」のみである。……

何れにしても、版画道に於ける新分野を開拓したいものだ。板の味に溺れず、板
の命を挙揚して、それに自然の魂を委託せねばならない。刀の味でもない。摺り
の味でもない。不思議なる板魂。これは結局は、余の芸魂の進展如何によるので
ある。換言すれば、自然の霊妙を、どこまで摂取できるかにかかるのである。

単に、一線一点の筆格描法を真似するのではない。己の五指を練磨して、無為自
然に通達する、大それた望みかも知れぬが、鉄斎や芋銭の示すあの立派な画境を
見ていると、われしらず欲念が湧き立つ。

  墨一色のこの単純な仕事、一体この仕事から、何を語り、何を示し、何を味わ
わせることができるのか。この仕事は、あまりにも地味である。内に悩むところ
、あれこれ苦吟するところは、つきることなく、微妙なのだ。然しその現れる処
は、単純。黒、白の簡単な階調、線、点のリズム。自然をその単純な、元素的な
もので捉える以外に方法はない。自然の命を点と線、黒白の階調にて描写する以
外の手段はない。

然し々々、このような版画道を今の版画人中、棟方先生を別として、誰も意図し
ていないようだ、よしや、自分が、みじめな画業に終わるとも、必ずや後世にこ
の画道確立の画人が現れるを信ずる。
版画の歴史は旧い。然し版画それ自体の芸
格を挙揚し出したのは近々五、六十年、いや、もっと近代のことかもしれぬ。創
作版画提唱以来、この版霊示顕に一境地を示したものは棟方師だけと見る。勿論
、版の妙味を或る程度こなしている作家は、数多くあげ得るが、然し、味の程度
だ。真実に版魂、血しぶく命までも、この画業に示そうとしているものは寔に、
寥々たると言わねばならぬ。

  すぐれた描画は、単なる写景、写物ではない。そこにはそれぞれの命が形姿を
新にして脈々と表れたものでなければならない。画魂のない絵は死画である。静
かなるもの、和やかなもの、一見沈々としたものでも、生への血脈(画魂)なき
ものは死画である。喧しきもの、騒がしきもの、乱舞するもの、乱雑と見ゆるも
のもその奥に、谷の如き深々としたもの、海のごとく広大を秘めたもの、山の如
く動かぬ暗示を持ったものであれば、それは、病画であって、死画の一歩手前で
ある。何れにしても、画家は、生命流るる脈打つ画面を示すものでなければ、真
の画業建設とはなり得ない。

  現代の作家は、或いは右様のこととは無関心、否むしろかかる事は蔑視すべき
ものとして、一途に造形云々を言う。けれども自分はこの精神的意味を重視し、
且つ追究することに画業の意義をかんがえる。

  華やかなもの、麗しきものと、単なる感覚的な享楽ごとと混同してはなるまい
。笑いも涙も憤りも、喜びも共に芸業に表現され、見る人の心の慰めとなり、糧
となるものでなければ、健全な芸業とはなり得ない。舌頭一瞬の快味だけを追う
て、飲食することの愚を思うべきである。健康なる作品。作る側も、観る側も、
この一点に凡てが集中されねばならない。ことさらめきて、新生日本の文化など
と言いたくもないが、結局は、国際的に文化の華を望むならば此処に結着が行く
ものと思う。

  さて、自分の志向する画業であるが、目今は専心画業ととりくめぬ身上である
のが何とも残念である。望むところは、自分の作品が、真実で立派であり、世人
の鑑賞に値するものでなければ、あれこれと世渡りの技巧を弄してみても詮ない
ことだ。卑屈になることではない。あくまでも仕事本位に邁進するのみ。現世は
あまりにも暮らし難い。この難しい時世に画業を志望したのだ。日常生活の辛さ
は当然のことだ。

  世にこびまい。自分の画業だけに懸命になれ。画面に立ち向かった時、真剣熱
烈、何ごとにも怯じるな。日常の茶飯事に煩わされるな。平常心を持してただた
だ画業への猛進を誓うのみだ。(1947年  歳旦記)

植物の種子が発芽する時の、向日性と背日性ということは、我等の仕事の上でも
一つの教訓を示す。即ち根を張ることと、天日を仰ぐことの二つだ。上ばかりみ
てもいかぬ。下ばかり見ているのも不可。上ばかり見ているのは浮き草である。
根なし草である。下ばかり見ていては、時代の脚光は浴びられない。無論脇目ば
かりの手合いは取るに足りない。
                                 

  こんどの個展は十八点全部風景で箱根を中心の森と富士です。一点だけ山の中
でみた石地蔵ですが、単なる写実じゃなくて実際に即したものから、象徴的なも
のへもっていっています。物に即さない仕事は僕はしない。あくまでそのうえで
の黒と白との階調ですね。樹木を描くんだって、黒と白の二つだけで、黒で描く
のは木であり、しかも、森の中の深沈とした感じを出したり、空の高さや深さを
出したいんです。半調子をいれれば絵を描きやすいけど、半調子というのは白か
黒かに吸収されてしまうものだし、それを使うのは、ある意味では妥協だし、あ
る意味ではお化粧です。色刷りだと多少出来が悪くても、着物を着ているような
ものだから人の前に出られるんですね。しかし、僕の場合は真っ裸で出るんです
から。なかには色をつけろと言う人もいますけれど、それだけは拒絶しているの
です。                   (1960年12月8日 東京新聞夕刊)

私は自分の手がけている木版画を、もっとも版画らしい版画であると、堅く信じ
ている。白黒の単純明快なこの版画の主張は、一切の絵画の中で、十分特色ある
画面であるとも自負している。然し、入り易く到り難いというのがこの単純な白
黒版画の画境である。あたかも俳句制作の世界が、漂渺として果てのない詩境で
あるように。

一昨年五月、浄瑠璃寺から岩船寺への山道で、めぐりあった鎌倉期といわれてい
る阿弥陀三尊の石像を拝んだ折である。この彫像者の石工たちのことがふと脳裡
浮かんできた。これは一つの啓示というものであろう。「自分でやれるだけの仕
事をすれば、それでよいではないか」と、私は遮二無二仏像版画ととりくんでき
た。                  (「笹島喜平版画集」序言  1964年)

私の版画主張、物象畏敬を根基とした、白と黒の単純な操作によるリアリティの
追求が、果たして普遍的な道につながるのか、否か。

「半画人」

版画人はまさに半画人なのである。版画家、とりわけ木版画家の制作過程で、画
家としての創作面の操作は半分、否、三分の一にも足りないのだ。殊に追作の後
刷りは、創作とは無縁の手仕事である。私は二十代から三十代の壮年期を、教職
について過ごしてしまった。その意味からも、私はまさに半画人なのである。

「古都の風景画」

拓刷りの手法を手がけて二年目、昭和三十五年の春、三重塔を主題にし、古塔A
、B、Cの三点を版化したが、その中の古塔Bの作画の時である。相変わらぬ一
点一画の操作に苦悶苦闘、やっと仕上げた拓版の画面を見ているうちに、目がし
らが熱くなって、涙が溢
れてしまったのである。五十年来の私の画作中たった一
度の経験で、忘れ得ぬ感激の一齣である。そして、この古塔図は、第六回の高島
屋個展に出品したのであるが、会期中毎日毎日見つづけているうちに、奈良、京
都の古塔の風景が、しきりに目の裏に浮かんできたのであった。まさしく美神の
招きをうけたのである。個展の後始末もそこそこに、奈良行きをしたのであった
。爾来、奈良、京都への写生行は現在までつづいて、私の版化の対象となってい
るのである


「不動明王」

背に負う火焔は慈悲の徳相の表示であり、右手に三毒(怒り、愚痴、貪欲)を断
つ利剣、左手に己れの確信主張を貫徹する意志表示の羂索を持つ不動明王は、厄
介千万な人間娑婆道を生き抜く道筋を示しているのである。

「女神像」

限りない福徳を授与してくれるといわれる美女神、弁財天、吉祥天の像もかなり
の数を版化してきたが、古都にのこされた女神像をたよりに、私なりの女神像を
版化しているのである。

「富士」

白と黒の操作で、厳然と雲上にそびえる霊峰富士図を版化表現する、制作いよく
はつづいている。自分の意図する画面はなかなか生まれてこない。

「実の空」という言葉は、宮本武蔵の五輪書からの転用であるが、白黒の木版画
の場合の白、即ち空の部分は、実際には作者の刀が働いたところであるから、そ
の意味から、「実の空」の言葉が適切である。「一物もなきところ、もっともな
し難し」という水墨画における緊張した余白という意味に通じる考えでもある。
しかし、現在私の画面上の操作は、黒と白が見えるのではなく、自然物象の実在
感が画面上にひびきわたることを願っているのだ。この念願の達成は難問中の難
問である。(「黒と白」の補足説明)


「その道に深く入れば、終に果てもなき事を見つくる故、これまでと思う事なら
ず。我に不足ある事を実に知りて、一生成就の念これなく、自慢の念もなく、卑
下の心もこれなくして果たすなり」(「葉隠」より)

「本音をはくこと」

「一点でもよい。傑作をつくること。そうすれば、他のすべての作もすくわれる」

                                                (終)

生誕100年記念「笹島喜平展」(冨山県・朝日町立ふるさと美術館 2005年)図録テキスト収録

笹島喜平の木版画(作品の紹介)



[参考文献]
 『一塵』(美術出版社 1967年刊)
         『笹島喜平喜平画文集』(美術出版社 1976年刊)
         『半画人』(美術出版社 1982年刊)

笹島喜平の言葉 (2)

魚津章夫編


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