黒と白


黒の対極源は白である。
黒は一切の色相を包含してもっとも強烈な表現の幅と深さを持つ。
白はすべての色相を受容する。したがってその空間は実の空となる。
白黒に象徴される色空の両極間には、無限の振幅が蔵されている。
単純簡素な画面であるが、白黒による具象版画の追求には、果てしない道が用意さ
れている。
196723日朝)

[具象論私見]

書画一体は南画や文人画の言葉であろうが、当時画壇の一隅には、そんなふんいき
が起こりかけていた。私も長い期間書道の勉強に熱意を傾け、傍ら短歌や俳句にも
関心をよせた。白黒版画を作るようになって、これらの簡潔淡白な芸術の一環こそ
もっとも日本的で、時局にふさわしいものとしていささかの疑いも持たなかった。
それどころか心中でひそかに誇りさえ感じていた。
視覚芸術はすべての判断を「視
る」行為から出発しなければならぬ。どんな定評のある作品でも、自分の目の判断
をたよりとして鑑賞しなければならない。自分の鏡に映ったものそれだけが、そし
てそれに納得いった時、はじめて響きあうのである。


「閑さや岩にしみ入蝉の声」


体験、感動、その表現との一体化が、十七字のなかに、みごとに的確に定着されて
いるように思われ、写実とはこれだ、とわけもなく感激したのであった。その時の
感銘が縁となって芭蕉の俳句を味い、その文集と去来抄を読むようになった。そし
て日本的象徴の上にたつ写実追求の情熱が、そこからわきでたのだともいいえる。

「去来曰、蕉門に千載不易の句、一時流行の句というあり。是を二つにわけて教給
へども、その元は一なり。不易をしらざれば基立ちがたく、流行をしらざれば風新
ならず、不易は古に宜しく後に叶に句なる故に、千載不易といふ。流行は一時々々
の変風にして、昨日の風は今日宜しからず、今日の風は明日に用ゐがたき故一時流
行とは、はやることをいうなり」そして、「魯町曰、不易流行其基は一なりとはい
かに。去来曰、此事弁じがたし。有増(あらまし)人体にたとへていはば、不易は
無為の時、流行は坐臥、屈伸、伏仰の形同じざるがごとし。一時々々の変風是也。
其姿は時に替るといえども、無為も有為も、もとは同じ人也」と。(去来抄)

                               
  私はここでも自分流に去来の言葉を次のようにうけとる。千載不易なるものは自
然の生命である。絵画にあてて考えれば、万人に通用する具象追求の道である。流
行とは、表現形体の変化である。常に自分の現在を明日へと、すでに築かれた先人
のあるいは自分の壁を打ち破る苦闘の行為である。既成の表現形式を超えて、はじ
めて正しい新風は成るのであると。

 結局、人間いかに生きぬくかの個に徹しきったところで、人それぞれに己れの才
能、好悪、力量に応じた道に一切まかせる。所詮、不易の道とは、真正なもっとも
苛烈な孤独の道なのである。どのような主張をたどるにしても、その真正苛烈な孤
独を貫き、血みどろな現代社会に処して、今日の発言をいかになすべきかが、普遍
的な不易道につながる作家の姿勢なのではあるまいか。      (画文集より)

  芭蕉は「新しみは俳諧の花也。ふるきは花なくて、木立ものふりたる心地せらる
」あるいは「新しみを心懸くべし。好き句の古きより悪しき句の新しきを俳諧の第
一とす」といい、一方去来抄では去来をして「古きをやぶり、人に違うを手がらか
ほに、あだ言いひちらしていと見苦し」と言わせるのである。ここには現代に通ず
る多くのことがふくまれていよう。前衛者に対しても、アカデミックな保守的写実
者に対しても、双方何れも考えさせられる芸術者の根本が説かれていると思う。

日本民族は純粋種族であるが、その文化は雑種文化である。接木によって様々な外
来文化が日本流に開花したことは、歴史の語る通りであろう。だが、その移入の文
化が、定着し、永続するためには、接木の根本、つまり民族性、風土性に、それを
うけ入れる可能性がなければならない。……………

伝統とは(理否を超えたところで、素朴な民族の血がうけとめ)合理的判断以前の
民族の血を母体とした何かであり、のがれることの出来ぬ宿縁なのであろう。

画家の思想とは、画面上の格闘それ自体である。その証は、作品によって示すより
他に手だてはない。

[写実について]

根底を写実において、象徴または抽象の世界を提示する。すでに対象は与えられて
いる。人間をも含めて森羅万象、どんなにさぐろうとしても、手の届かぬ秘密があ
るのだ。その厳とした存在に抵抗して、格闘する以外に道はない。一に
も二にも写
実に徹せよ。そしてその芸花を咲かせるために、技法習練に骨身を砕け。

短歌における三十一文字、俳句の五七五の定型。一つの型に制約される演能。何れ
も制約の上になる芸術である。その故にこそ悠々千年または五百年の伝統を持続し
て今日に至っている。短歌も俳句も能も、その根底は写実である。しかも一定の完
成された型を制御して後に、はじめて自由な境涯が開かれるのである。

写実という語は、ひどく陳腐な感じをもつ。これは考えてみれば妙な話だ。この写
実の追求の上にこそ永遠性もそして新風も秘められているのだ。

[セザンヌの言葉]

「自然を球、円錐、円筒によって処理し、すべてを透視法によって配置すること、
云々」のことばは有名であるし、その影響は世界の隅々まで波及したもののようで
ある。けれども私はこの言葉をそんなに感服出来ないでいる。セザンヌが近代絵画
の始祖であるといわれる所以は、前記のような意欲的でそして知的な主張とその作
品とによるものであろう。が私が敬仰するのは、その心の底に持ちつづけたであろ
う自然讃仰の謙虚さを絵の奥に見ることができるからである。


「結局のところ他人には何も教えることが出来ないということをようやく悟った」
                                                            (セザンヌ)

私たち画家はどんなに自分の才能が乏しくても誰の画論からも、何一つ学ぶことは
できない、自然との対決によって各自それぞれの画論を持て、ということになるの
である。

「古人の跡をもとめず、古人のもとめたるところをもとめよ」

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芭蕉の説いた「一句いまだいひおほせず」「言ひおほせて何かある」を作画の信条
としている。
自分をも含め現代人が望む最も高き理想はなんであろうか。あまりに
も常識的だと笑うかもしないが、それは人類の幸福につながる世界平和というこで
ある。作画制作の根基にも、その祈念がひそんでいなければ、どんなに意味ありげ
に人間を批判し、あるいは人間感情の機微を表現し、あるいは近代的な構築による
たくみな画面を作り出してもそこに
生まれないように思う。私はあくまでも写実を
根底とした具象の道を歩もうと思う。そしてより普遍に近づこうとする。そのいと
なみの果てに、おのずから芽ぶき花さく。そんな芸花を私の理想としたいのである
結局、形はどうであれ、人間の愛情につながるもの、よろこび、悲しみ、あるい
は怒り、それが美的に昇華され、素直にひびいてくるものに心ひかれる。

「芸術は必ずしも時代の子ではない」
写実とは、語義通りに解釈すれば、実物その
ままを写すということである。が私の主張する写実の道は、むろん単なる瑣末主義
の描写でうとする格闘である。実存在の物象をみつめ、秘められた生命感、実在感
、神秘感を観得する。そのための写生であり、それが制作の媒体となり、根底とな
る。
写実の象徴性を思い、単純にしてしかも神韻縹緲たる表現を、自分の絵画制作
の上に、ひそかにねがったのであった。
俳句には、言葉の約束があり、五七五の短
詩型の制約があるのだから、その制約内の自由、そのわく内での独自性、それが不
易の、大道につながるのである。


「制限においてはじめて、巨匠はあらわれる法則のみがわれわれに自由を与え得る
のだ。                                                       (ゲ−テ)

俳句と我々の版画とを同列にみることには、むろん異論もあろうが、私の志向して
いる白黒の版画制作の立場からは、芭蕉の説いたさまざまないましめが、きわめて
適切な教示となって、ひびいてくるのである。その一つの例を「去来抄・同門評」
の中からとりあげてみると、「ここに畠山左衛門佐(はたけやまさえいもんのすけ
)といへば大名の名成、山畠佐左衛門(やまばたけすけざえもん )といへば一字も
かへず庄屋の名なり。先師(芭蕉)曰、句ととのはずんば、舌頭に千転せよとあり
しも此事也。」とあるように、文字の配列を替えただけで、その語調の相違は、大
名と庄屋のへだたりを生む。そこで芭蕉は語感の大切なことわ説いて、舌頭に千転
せよと強調するのである。よい句が成立する背後には、この舌頭千転の労作がたた
みこまれているのであるが、白黒の版画の場合もまた一線一点の操作如何によって
、作
品の成否が決定するのだから、その取選択には身魂を傾注せねばならないので
ある。

十年程前、信州のL温泉で天然記念物に指定されている、欅の大木を見たことがあ
る。樹齢は千年に近く、そのいぼくれだった樹幹は、文字通り千古の風雪に耐えた
頑丈さが、たたみこまれている。その偉観は荘厳ともいうべきものであった。「花
の咲かぬ木をや見ん」と、花伝書の中で世阿弥は語っている。この堂々たる大欅は
、まさに花以上の花を示しているというべきものである。「平凡な天才」そんな表
現がぴったりする。
この大欅は、凡器な私に手をさしのべて、写実の道は、自然物
象の恩恵に随順する他力の道であり、誰でもが歩きつづけられる道なのだと、励ま
してくれたのである。
  自分の才能に「凡庸」という烙印を押すのはかなしい。け
れども、そう覚悟がきまれば、おのずと我が道もさだまる。平凡な写実の道を歩く
ことである。そして大欅のように、根気よく世の風雪に耐えることだ。
  「写実の
歩み」とは、自然物象との対話の中から、自分の心の奥にひそむ、美の秩序をさが
しもとめ、画面に定着させるための、絶えざる格闘をいうのである。
自然は、あく
までも真実で誤ることはない。しかも限りない神秘を蔵していて、くみつくせぬ美
の宝庫なのである。小才、小智をふりかざして、どう挑んでみたところで、びくと
もしない厳然たる存在である。この尊厳な自然との対峙から、普遍的で且つ独自の
芸花を産み出すことは、しかし容易な業ではない。

個性的な作品は、おのずから成るものであって、目的とすべきではあるまい。

「健全な時代は客観的であり、頽廃の時代は主観的である。」(ゲ−テ)

「物を耳で見るな」つまり世評や肩書きに煩わされず、自分自身の目でたしかめよ
というのである。そのためには、目もこころも大きく育てなければならない。偏狭
な小我に固執していては、それこそ唯我独尊になる。畏れねばならぬものでも、畏
れないようになっては、人生おしまいである。

「一つのことを繰り返せ」あれこれと新奇を捜しもとめたところで自分が深まり、
高まることにはならない。同じことを繰り返して、しかもマンネリに陥らぬ立場に
立てというのである。結局、一にも二にも鍛練せよということである。
私の版画に
は、一定の型はむろんない。師伝もない。ただ私のよりどころは、自然物象への畏
敬である。一枚の作品の中に、自分が観得した自然の生命とその風趣が、より的確
に宿ることを望むのである。

生誕100年記念「笹島喜平展」図録テキスト収録

笹島喜平の木版画(作品の紹介)



[参考文献] 『一塵』(美術出版社 1967年刊)
        『笹島喜平画文集』(美術出版社 1976年刊)
        『半画人』(美術出版社 1982年刊)

笹島喜平の言葉 (1)

魚津章夫編


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