「版画再考」プロジェクトのアンケートに答えて
<今日の版画について><版画を扱う画廊について>

                                                 魚津章夫

  孝彦様

  ご質問のアンケ−トの趣旨文に「Print Art 」の創刊号の挨拶文のことにふれられていましたので、私の感想をすこし述べさせていただきます。1960年代から70年代にかけての現代版画の時代状況については最近発行されました私の著書「私がめぐりあった版画家たち」(沖積舎刊)に詳しく記述しておきましたので参考にしてください。

版画再考

  私が近年強く感じておりますことは、版画を制作する人たちも版画を世に紹介して橋渡しをする人たちも版画を愛好して市場を支える人たちも状況が変化してひとつの時代が終息しつつあり、次世代に移り変わっているということであります。  私どもが活動した時代は浮世絵に対して明治後期、大正初めから運動が起こった創作版画の精神が受け継がれ、戦後それらが開花して爛熟した時代でしたが、それに対して戦後の西洋美術の流入やアメリカ絵画の影響によって、より国際化がすすみ、創作版画とは別の版画をつくるア−ティストたちが現れはじめ、版画のもつ版の特性(とくに写真製版などによる転写機能)やより多くのコミュニケ−ションのできる複数機能などにも魅力を感じ、現代美術の新しいメディアとしていろいろな版画の可能性を追求した時代でもありました。それらを受け入れる社会的な背景としては、国際版画展が注目され、それに日本の版画家が次々と受賞し、また東京国際版画ビェンナ−レが開催され、ジャ−ナリズムも大きく報道し、版画ジャ−ナルも形成されてゆきました。評論家も版画を注目し、進歩的な画廊のほとんどは版画を積極的に扱いました。そういう時代の版画の振興を推進する基盤となっていたこれらの様相が最近ではすっかり変わってしまいました。世の中に広く版画が普及はしましたが情熱をもって旗を振る人がいなくなって、活動そのものは弱体化しているように感じられます。  人間が視覚を通じて感じたことを何らかの方法で伝えてゆきたいという本能は変わることはないでしょう。版画という表現手法も人間の経験した絵画形式としてたいへん有効な方法であり、現代のようにマスコミュニケ−ションの社会のあり方からすれば、他のどのような絵画形式よりも現代に適したものであると思われます。また私たちのこれまでの歴史的な経験から、日本人が優れた版画を創るという技術的な資質に恵まれ、伝統と良き環境の中にあり、世界の中でも版画大国であることは誰しも認めることでしょう。今日でも版画の可能性は無限です。
  社会の様相は絶えず変化します。社会が変化しても時代精神として生きつづけるものはどんなものなのでしょうか。人間が何を見て美しいと感じるのでしょうか。人間同士で共感し、感動を与えるものはどんなものでしょうか。芸術としての感動をあたえるためにはそれなりの精神を高めなければ本当の共感は得られないでしょう。版画の場合は作家によっては刷りという協力者が必要であるとはいうものの他の絵画と同じようにあくまで個人の資質と技術が大きく作用をします。版画の特性を最大限にひきだしてそれでしか表現できないところまで到達しなければ感動を与えられないでしょう。すべては作家自身にその可能性はかかっています。画商も新聞記者も評論家も美術館も自分で風を起こすことはできません。

画廊について

  フランスの近代の大画商といわれたデュラン=リュエルやボラ−ルやカ−ンワイラ−はまず自分の眼で認めた画家の絵を買うことからはじまりました。絵を買うことによって画家の生活を支え、画商はそれ愛好家に売り、利益を得るというのが基本です。客をとられまいとして画家と契約をして一定期間仕入れを独占します。あるいはストックになった絵の価値を高めるために宣伝をします。ストックの絵を愛好家に見せたり、宣伝をする場所がいわゆる画廊と称したのでしょう。今日では展覧会を開いて画家の発表の場としての印象が強いのですが、本来は絵の売買の場なのです。どうも外国の画商さんの動きを見ていますと自分が所有しているものしか宣伝しません。もちろん自分の契約作家は強力に宣伝するのです。日本の場合は画家から作品を預かって委託で販売したり、同じ画家の絵をどこの画廊でも販売しているし、通常は貸画廊としても機能させているところも多くあり、外国の画廊のように徹底していないようです。国民性があるのでいちがいに良否の判断はできませんが、やはり、画商、つまり画廊の実力は所有するストックの内容によって判別ができるでしょう。
セザンヌやルノア−ルの絵を誰よりもはやく買って価値を高めて売り大画商となったボラ−ルは死後残された作品が4000点もあったと言われています。それでも遺書には価値を下げないように相続者に年間10点以上は売ってはならないと記してあったそうです。晩年には画廊はほとんど閉めたような状態で、たえず居眠りをして、「作品が売れれば生活の足しになり、売れなければストックの資産価値が増す」と言って悠然としていたそうです。世界の大画商と呼ばれる人たちは買い手の要求に応えるというよりも、自分の認めた画家を擁護し、世にその価値を認めさせ、買い手を自分の価値の方向に引き寄せた画商たちであったように思われます。その大画商のボラ−ルやピカソの画商カ−ンワイラ−にしても版画の出版や販売には熱心でした。これからの日本にも新しい時代に即応した世界的なレベルの大画商の出現を期待します。

  これだけ全国に美術館がたくさんできてしまった今日、IT革命といわれている今日、21世紀の時代にふさわしい新しい画廊のスタイルが必ずあるはずです。その解答はこれまでの歴史の中にこそその糸口が見つかるでしょう。

平成12年12月1日



魚津章夫の現代版画コレクション
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