ドンゲのサロメ
堀口大學
小林ドンゲ君がビュランを握り初めてから、はや何年になるだろう。
思い出の中の彼女は、20年前、すでに一応名のある女流エッチャーだった。
1957年というから、今から18年前、ぼくは自分の重要な詩集『夕の虹』の挿し絵と装幀を彼女に托しているが、これが甚ださいさきよく、その年の読売詩集賞に推されている。
近くは去年12月、吾八ぷれすから出版した近作詩集『沖に立つ虹』も、今年の4月、ほるぷ出版から出した『堀口大學詩集』も、君の労作を数多く着飾って現れたおかげで、読書界に、よろこびむかえられている。
年々の春陽展出品の他に君はまたアラン・ポーの『アッシャー家』、上田秋成の『雨月物語』なぞ、東西の名著にいどみ、大がかりな労作を世に問うている。
ところでこれまでの小林ドンゲの作風は、凄艶そのもの、江戸っ子の血を享けた歯切れのよさ、痛いほどに迫る鬼気の鋭さに、見る者は血のひく思いで、尚かつその絵に引きつけられていったものだ。
こわいもの見たさ、この味が、若いファンをよろこばせ、ドンゲ・ブームを捲きおこした。
それなのに僕の欲には際限がない。円味が欲しかった。あれでは尖りすぎていた。
女々しさが、お色気が、ドンゲの線に、形に現れる日が待たれた。
僕の感じでは、これまでは、小林ドンゲの成長期だった。次ぎに来る成熟期の作品が待たれた。
今年の4月、鶴岡八幡宮の参道の夜ざくらの下を歩きながら、彼女が言った。
―――― 先生、サロメをやっていますの‥‥‥。
聖書の中のサロメを、拡大解釈した自分のサロメですの。
10月に入ると、ドンゲが、サロメの試し刷り4種をたずさえて、プリントアートの魚津章夫氏と一緒に訪ねて来た。ひらいた。見た。
サロメが出てきた。
火の処女・サロメ、燃え上がる形而下の恋情に、身もだえ、身をくねらせ、エロスの息吹きの中を、泳ぎまわるドンゲのサロメが。
待望の、小林ドンゲの、芸術の成熟期の幕があいた。変化は進歩、嬉しいことだ。
1975年11月14日
葉山森戸川の岸部にて
小林ドンゲ銅版画集『火の処女・サロメ』より