私の版木画
中島通善
版木画とは「版木の彫りと摺りとがつくる画」といった意味で私の木版画に私がつけた名称です。基本的には浮世絵伝統木版画と同じ道具と材料を使った手仕事ですが、私の版木画は自分で描いた下絵(自画)を自分で版木に彫って(自刻)自分で摺って(自摺)いますが、大きな違いは摺りにあります。 私の版木画の摺りには、透明感ある鮮やかな木目が摺り出されていますが、これが特徴です。これは長年かけて自分で編み出したもので、そう簡単には真似出来ないぞと自負しています。ともかく版画は摺り物ですので、摺りが生命であり、魅力です。
そもそも私が木版画を始めたのは中学時代、学校の授業でつくった年賀状が最初です。それが制作と失敗を重ねていくうちに今日の版木画となったわけです。版木画の原点は年賀状なのです。 日本ではもちろん、海外でも展覧会をすると必ず木目はどうやったらでるのかと質問を受けますが、材料や道具のあんばいや見分け方をはじめ、気候や精神状態も関係して簡単には説明できません。一つの作品、一日一枚いいものが摺れれば大成功というのが正直なところです。
ふつう版画と聞くと、印刷の原型を思い浮かべ、同じ絵がいくつも刷れて単純で安直安価なものと思われがちですが、私の版木画を知った人は、国の内外を問わず必ず版画の認識を改めます。 この版木画の最大の特徴である木目の美しさと色彩の透明感は、版木に絵具をつけ摺りあげてはじめて出てくるもので、他の木版画やリトグラフ、エッチング等の版画をはじめ、手描き物では出ません。摺り終えた画にあとから筆で絵具を加えたりすれば、その部分の透明感が失われ、すぐ分かってしまいます。これが私の自負するところです。 それでも、木目は版木の当たり外れにもよりますが、30枚も摺れば、出にくくなり、そう沢山の枚数が摺れるものではありません。
浮世絵版画のように、着物なら着物部分を何十枚も一度に摺り、次に髪なら髪の部分を何十枚も摺り加えて仕上げるやり方ではなく、版木画は一枚ずつ完成品に仕上げます。もし一度に同じ作品を複数枚摺ろうとすれば、必ずどれも納得のいく仕上がりになりません。一枚ずつしっかり「気」を入れて摺らないと単なる印刷コピーと変わらなくなってしまうほど微妙です。それを私は「木」に「気」を入れるといっています。ですからもちろん摺りは他人にまかせるわけにはいきません。 また、作品の構図やモチーフについても多く質問を受けますが、これらはすべて私が生まれ育った東京の生活体験がもとになっています。
『日本の面影』のタイトルについては、尊敬する小泉八雲の言葉からきていますが、それはけっしてノスタルジーを意図したものではなく、今も日常の生活の中にあるし、将来も日本にあっておかしくない風情や風景であり、それを国外でも多くの人たちが愛してくれるものと信じています。 しかし、そのためには、版木をはじめ、彫刻刀、和紙、絵具、ブラシ、バレンといった日本の職人さんたちの良質な仕事があればこそできる仕事です。 私の版木画は、まさに永く培われたわが国の職人の手仕事と微妙な感性の集約されたものと思っていますし、私の人生そのものだと確信しています。