笹島喜平木版画 「女神像」
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弁財天
弁財天は、元来サラスバティー河の神格化したもので、はじめは土地豊饒の農業神として、さらに知恵の神パーチと結合して言語や音楽の神に転じ、我国では鎌倉時代以降とくに福徳神として汎く尊崇されるにいたったという。 七福神の中の弁天様は(弁財天)は、子供の頃から掛軸などでなじんでいて、ばくぜんと美辞よ美女の代表のように思っていた。が、京都の三十三間堂で拝んだ、観音二十八部衆の中の弁財天(弁財功徳天)は、鎌倉期の写実的な立像で、健康かつ豊麗なしかも凛々しい女神像であった。同時代の初期といわれる浄瑠璃寺の有名な吉祥天の端麗優雅とは、いささか趣を異にするが、この御像はやはり女神像の一典型を示すものであると思う。 私のこの弁財天は、その御像をもとに、華麗な宝冠や輪光に版画化の手がかりを得て成った私流の女神像である。(画文集『一塵』より)
◎ これらの作品は2006年10月に東京の或る個人コレクションに収蔵されました。