森 仁志さんの仕事

 ある日,突然,電話がかかってきて,「ちょっと見てもらいたいものがあるので,もし,明日都合がよければ,伺いたい」と言って,森さんが,長野の坂城町から私の手伝っている富山県の小さな町の美術館まではるばる奥さんと二人でやってきた。
 車から大きなタトウを美術館の談話室まで運びこんで,そのタトウの中から自作だというリトグラフの大作のシリーズ『カルナック・冬の旅』『カルナック・月光』やその他の連作を一枚一枚見せてもらった。
 作品の図像は100点を越している。すべてフランスのブルターニュ半島のカルナックの巨石を描いたものだという。イングラント南部にあるストーンヘイジは書物の知識で記憶していたが,カルナックの巨石群ははじめて知った。驚いたことに大きさは,現在立っているもっとも高いもので6.5メートル,四つに割れて倒れているもので重量は350トンに達するそうである。カルナック全体で肝心な部分だけでも2792体のメンヒル(立石)が10ないし11列に並んでおり,ほかにも墓所のようなものや円形に並んだ巨石群があるそうで,想像するだけでもものすごい景観である。巨石文明は新石器時代,紀元前4670〜2000年に発達したそうだ。
 森さん(当時27)197312月に引き寄せられるようにカルナックに行って,はじめてこの巨石群を見ている。感動のあまり,3度その場を訪ねた。いったいそこで何を見たのだろう。もちろん,この想像を絶する壮大な巨石群を見て,その石の巨大さに圧倒されたであろうし,自然の風雪と時間の経過が造りあげたひとつとして同じものがない形体のおもしろさに魅かれたにちがいないが,その強烈な印象を受けてからもう30数年経って,今年も憑かれたように現地に立ってこの光景を眺めている。
 森さんはカルナックの最初のこの新鮮な驚きを「これは私にとっての人間の生の証だと思った」と言って,次のように記述している。
「カルナックの巨石群を見ていると,様々な思いが湧いてくる。ある日,荒野にひとつの巨石を建てる,するとその場の風景がまったく変わる。それを目にする感動。過酷な労働を伴うこの純粋な無償の行為,なんと永い時期にわたり,造り続けられてきたことか。ロクマリアケルの四つに割れた巨石には,思い半ばで倒れてしまうかもしれない自分の姿を重ねて見ていたのかもしれない。倒れても堂々と存在を主張しているその姿に,言いしれぬ共感を覚えていた。そこには,シンプルだが真正面から立ち向かうこの巨石群を造り上げた人間のエネルギーが漲っている。」
 森さんはこの地球の広大な創世期を想わせる原野に独り立って,人間存在の根本的な源を察知したのだと思う。そのことは自分がなぜ今ここにいるのか,自分はいったい何者なのか,自分は何をなすべきなのか,この問いかけにこの巨大な石たちが何らかのヒントを語りかけてくれたのだと思う。
 森さんはやはりアーティストなのだ。2002年から2005年にかけて制作されたこのカルナックの巨石をテーマとした一連のリトグラフ集の作品を一枚一枚めくって見て,私の第一声として「これは森さんしか絶対にできない仕事だね」と発している。
 ほとんどはモノクロームが基調になっているが,何点かは数少ない色版が重ねられている。描かれたそれぞれの巨石には光の加減で季節や時間が表わされており,それが100以上の表情になる。そのうちの一枚をしばらく注視して見ると,手刷りのリトグラフでしか出せないような微妙な温もりのあるマチェールが浮かんできて,描かれた巨石が囁くように語りかけてくる。しかし,この連作はやはり,広い部屋の壁面に展示して,ぐるりと見て回るか,真ん中に位置して,作品に囲まれて見るのが効果的なのだろう。そうすれば,季節の移り変わりや時間の推移や空間の広がりのイメージが多重的に感じとることができるにちがいない。森さんの狙いもそのところにあるように思われる。
 森さんは私にとってはいつも不思議な人なのである。時折,風のように私の前に現れて,軽やかにお話をされるのだが,聞き込んでいくうちにその内容がとてつもない大きな計画であることに気が付き,いつも目を丸くして驚いてしまう。
 30数年も前に森さんがまだ20代で三彩社という出版社に勤務していて,小野忠重さんの著作『近代日本の版画』などの編集に関わっていた頃,私が京橋でプリントアートセンターという現代版画の普及事業を起こしたばかりの時に知り合うことになった。 私はその頃,同時代の若い版画家たちの作品を紹介するために,事務所にギャラリーを併設して,毎週個展を開催していた。ある時,森さんがやってきて,「僕がこれまで夜中にこつこつと描きとめた作品の個展をやらせてくれませんか」と申し出られた時,えっ,この人は画家であったのかとまず驚かされた。そして,作品が会場に展示されてみると,ガッシュ,オフセット,エアーブラッシなどを駆使した,現代の人間が置かれている実存的な状況を幻想的あるいは抽象的な見事に表現した作品が展開されていた。そして,それらの作品のところどころにちりばめられている繊細な感性と,洗練されたデザインセンスに感服したものだった。
 その後,しばらくして,今度はパリから手紙が届いた。どのような内容であったか,忘れてしまったが,パリに住んでいるという事実だけでも,私を驚かせた。多分この時にカルナックに行ったのだろう。それから帰国して,今度はリトグラフの工房を開設したという。後に知ったことであるが,三彩社在職時代から,すでにリトグラフの刷りの技術を習得しており,中村直人さんがパリのデ・ジョベール工房で版画の制作をするというので,いっしょについて行ったのは,さらにその技術を深めるためとパリのリトグラフ工房の実情を研究するためであったようだ。
 1980年に私が企画した「日本の現代版画パリ展」が日本航空の協力でパリで開催することになった。なにかひとつ注目される目玉になる作品がほしいものだと思っていた時,たしか新宿の「風紋」というバーで「岡本太郎さんの版画の新作を作ってもらえないものかなぁ」と森さんに話したら、「ちょうど大型のリトグラフの工房をつくるので岡本太郎の大版画を作りましょうよ」といとも簡単に請け負って下さった。私はパリでの展覧会を組織する過程でいろいろな難問を解決しなければならないことに追われている間に,森さんは岡本太郎さんのアトリエにさっさと通って,リトグラフの制作のすべての工程をスムーズに進行させて,「風」「黒い太陽」という大版画を完成させてパリ展のオープニングに間に合わせてくださった。 普通の人はこうありたいとかこうすべきだということは言葉では口にするもののなかなか決断できなかったり,また実行することに障害があったりして実現できないものだが,森さんはやすやすと難しい仕事や大きな夢を実現してしまう。その行動の素早さと実行力には舌を巻く。そしてついに彼は日本の美術界において,あるいは版画界において誰もこれまで為したことのなかった新しい分野を開拓して歴史的な偉業を達成してしまったのである。
 日本の近代の版画の特徴は自画・自刻・自刷といういわゆる創作版画の主張である。浮世絵の木版画のように絵師・彫師・刷師が分業で作業をすすめるよりも,画家がキャンバスに筆で絵を描くように自分で自由に絵を描き,自分で彫って,刷るほうがはるかに画家の個性や精神を自由に直接反映できるのではないかという芸術運動であった。明治の終わりごろから大正時代にこのような考え方の運動がすすめられ,次第に版画界の主流となっていった。戦後の現代版画はこの創作版画による木版画の作家たちが中心に活動していて,自画・自刻・自刷が徹底されるようになって,数々の名作も生まれたが,ややもすれば,かたくなな閉鎖的な集団となりつつあった。もちろんこの時代にはプロとして独立した版画工房は皆無にひとしかった。それが,1950年代から,海外の国際版画展に日本の版画家たちが出品して受賞が続き,東京国際版画ビェンナーレ展が開催されるようになって,国際交流が高まるにつれて,欧米の一流現代画家の版画作品が大量に流入することになった。また欧米の版画事情も知られるようになった。したがって,その頃から版画家でない画家や現代美術の作家が版画制作に興味をもち,それに応えるべき刷り師や版画工房が急速に要望されるようになった。 森さんはこの現代版画隆盛の気運をいちはやく察知して,日本の版画界で最も未発達であったリトグラフ工房をいちはやく開設したのである。ところがそればかりではなく,郷里の長野県坂城町2.5メートル×1.25メートルの大版画を刷ることのできる巨大プレス機を製造して,それを設置した原広司設計による世界最大規模のリトグラフ工房施設を実現して美術界や版画界に一大センセーションを巻き起こした。そして,この工房で同時代の人気作家たちの巨大リトグラフが次々と生まれた。岡本太郎,大沢昌助,菅井汲,島田章三,アンドレ・ブラジェリエ,ジャン-ピエール・カシニョール,ベルナール・カトランなどや,他にも池田満寿夫の「宗達賛歌」は5メートルの大作,さらに318版を使用し,完成まで3年の歳月を要した東山魁夷の7メートルを越える記念碑的な超巨大版画「濤声」も手掛けている。なんと20年間に約80名を越す作家たちがこの工房を訪れ,仕事を為したという。これらはまさしく驚くべき歴史的な偉業である。
 版画は描画や製版などの工程を経て,最後のこの刷りですべての結果が現れる。刷りは版画の生命である。私の知っている世界的銅版画の巨匠長谷川潔は晩年に長年作品を刷っていた刷り師が亡くなって,それ以後とうとう作品を作れなくなってしまった。それほど良質の版画作品をつくりあげるためには刷り師は画家の特質を知り,緊密な信頼関係を保持しなければならない。その本質をよく知っている森さんは手刷りの感触を大切にしていて,わが国の近年の版画工房が刷りの機械化や単なる複製印刷に流れてゆく安易な傾向をとくに嫌っている。
 森さんの今回の『カルナック・冬の旅』『カルナック・月光』などのリトグラフの大作シリーズは言うまでもなく,これまでのあらゆる人生経験から吸い上げたものを結集して創作されたものである。画家の手足となって優れた版画を作ることに20数年格闘してきたが,最良のものを求めて,とうとう自画・自刻・自刷の自作のポートフォリオに行き着いてしまった。森さんが編集者として版画の知識を吸収したこと,夜中にこつこつと絵を描いていたこと,またリトグラフの基礎的な技術を習得したこと,パリを中心に海外の美術とリトグラフ工房の実情を探訪したこと,版画工房開設と巨大版画に挑戦したこと,日本を代表する画家たちと仕事を共にして数々の作品を世に送り出していったこと,これらはみな森さんの心の底から湧き上がってくる業のようなものが結実したものであったと思う。森さんはその内なる声に耳を傾けて,それに突き動かされて行動してこの世にいろいろな形を刻んできた。今度のカルナックの巨石をテーマとする一連のリトグラフ集も森さんの内なる声がつくり上げたものだ。カルナックの巨石との交感と対話によって森さんのすすむべき道が開かれ,そして,いくつもの大きな仕事を成し遂げた。
 やはり,森さんは版画の刷り職人というよりもアーティストなのだと思う。これまで形に刻んできたすべてが,巨大版画の工房もそこから生まれたたくさんの作品も森さんの分身ですべてが森さんの作品なのだ。


森 仁志リトグラフ集『カルナック』求龍堂(2006年刊)より